中学1年生だった横田めぐみさんが帰宅途中に拉致されてから11月15日で47年となりました。90年代には万景峰号での帰国を試みていたというめぐみさん。母・早紀江さんは、その身を案じながら、政府が最優先で拉致問題に取り組むことを願っています。
■焦り募る母・早紀江さん「長い間…何も見えない」
横田めぐみさんなど、行方不明になっていた若者が北朝鮮の工作員に拉致されていたことが明らかになり、家族会が結成されたのは1997年。
その6年後の母・早紀江さんの言葉です。
【横田早紀江さん(2003年12月)】
「色々難しいけれども、その中でもっと積極的に、国として動くべきではないか。本当に毎年毎年、6年間そう思ってきた。なかなか思うようにいかない」
このときからも21年が経ちました。
【横田早紀江さん】
「本当に情けない。問題をどうしてこんなに長引いて…5年とかというなら色々大変だったのだろうと思うが、47年、口で言いたくないくらいの長い、ひと人生に近いような長い間、何も見えない」
めぐみさんにまつわる節目の度に会見に応じる早紀江さん。拉致から47年、焦りは募るばかりです。
【横田早紀江さん】
「言いようのない苛立ちと、本当によくもこんなに長い間、政治とは何なのだろうという思い。本当にあの恐ろしい国が、だんだん恐ろしさが見えてくると、本当にどんな生活をしているんだろうといつも思う」
■万景峰号で帰国しようとしていためぐみさん
そのめぐみさんの北朝鮮での様子について、今年、拉致被害者の蓮池薫さんが具体的に語りました。
【蓮池薫さん】
「(めぐみさんが)帰りたいなという思いからフラッと出る。市内でちょっと行ったところで捕まる。で、『どこ行くの』と聞いたら『いや、船に乗ろうと思って』と」
蓮池さんは、めぐみさんが北朝鮮で1990年頃と94年頃の2度、招待所を抜け出し、2度目は新潟とつなぐ貨客船の万景峰号で日本に帰ろうとしていたと明らかにしました。
【蓮池薫さん】
「故郷に帰りたい、日本に帰りたいという思いを明確に(めぐみさんは)表していた」
■「命の日数あまりない…」政府へ“最優先”での取り組み望む
家族の元に帰りたいという気持ちを隠さなかっためぐみさんは今年、還暦を迎え、早紀江さんは88歳となりました。
【横田早紀江さん】
「拉致問題だけは最優先課題という形で…長いから年月が。命の日数はあまりないので(家族も被害者も)どちらも」
石破首相は拉致問題をこれまでの政権と同様“最重要課題”に掲げていますが、家族が望むのは“最優先”での取り組みです。
【石破首相】
「もう1年2年、時間との勝負。何としてもこれを解決せよという皆様の思いを、私ども政府として共有させていただき、今後、最善を尽くしてまいります」
「時間との勝負」という言葉が、目に見える動きに変わることだけを祈る家族には、もはや悲嘆に暮れる時間さえありません。
【横田早紀江さん】
「(47年と言われても)特別、細やかに回顧して嘆くということはない。もう何年も何年もやってきたから。今はもう何か希望につながることが起きたらいいなということだけ」
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