中越地震から20年。全村民が避難を余儀なくされた旧山古志地域では23日、『震災復興感謝祭』が開かれました。住民はこれまでの困難と未来に思いを馳せながら、お互いの絆を深め、この地でたくましく生きていました。
木籠集落にある交流施設「郷見庵(さとみあん)」では『震災復興感謝祭』が開かれていました。
【篠田智美さん(44)】「パパが『もうここには帰れないね』と諦めのほうが多かった。気が張っていると涙も出ない」
木籠では土砂崩れによってできた震災ダムで集落の半数の14棟が水没しました。震災ダムで自宅を失った篠田智美さんです。
集まった人たちに語り掛けたのはふるさと山古志への思いです。
【篠田智美さん】「『この場所を守ってくれてありがとう』って、この先言ってくれる人達がいるから、またここをみんなで守っていけたらと思う。人間らしさ、人の魅力っていうのがここには詰まっているのかなと」
当時全村民が避難を余儀なくされた旧山古志村。当時2200人いた住民は722人にまで減りました。
ただ地震をきっかけにボランティアや全国各地の被災者と新たな交流も生まれました。
【参加者は】「自分たちの力で街を続けていこうとか、伝統行事を維持していこうという人の気持ちだったり、つながりがこの街にあったからこそ山古志が生き続けてきたんだなと」
【山古志の住民は】「いろいろな意味で思い返す大事な日じゃないかなと。月並みかもしれませんが、『ありがとう』ですよね」
【篠田智美さん】「悩んだ日々もあったけど、今こうやって皆さんと一緒に(感謝祭が)できて、20年前の自分に『大丈夫だよ』って言い聞かせてあげられるようなところになった」
Q 皆さん笑顔ですが?
【篠田智美さん】「いいふるさとの光景になっていると思う」
【記者リポート】「平日にも拘わらず、たくさんの人が牛の角突きを見に来ています。この後、震災の日に合わせた特別な角突きが行われる予定です」
闘牛場では『復興感謝祭』として3組の取り組みが披露されました。トップバッターとして登場したのが『神楽(かぐら)』です。
地震で多くの闘牛を失い、継続が危ぶまれた山古志の角突き。気迫の取り組みを見せた「神楽」は22年にデビューしたばかりの牛です。
人も、牛も、伝統は次の世代へと引き継がれています。
【訪れた人は】「久しぶりに牛の角突きを見たんですけど、相変わらず10年前、20年前に見たのと同じ元気さでしたね」
【山古志闘牛会 松井富栄 会長】「(先代が言っていた)『文化を守るんじゃなくて、この文化があったから山古志に戻ってくる力をもらえた』という、今身にしみて感じているし、これから先もつなげていきたい」
中山間地を襲った中越地震は人口の減少に拍車をかけ地域コミュニティーの維持が課題となっています。
ただ、住民はこれまでの困難と未来に思いを馳せながら、この地でたくましく生きています。
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