近年、問題視されることの多い「カスタマーハラスメント」。難しいと言われるその線引きはどう考えればよいのか。さらにその複合的要因と有効な処方箋を、予防医学者で保健学博士の島田恭子氏が探る。
カスタマーハラスメントとは
――「自分の感情をそのまま支離滅裂な大声で怒鳴りつける。バカ、ボケなど人格を否定するような発言。物価高騰のため、と説明したら『なにを偉そうに、何が物価高騰だ』と大声で怒鳴られた。自分の都合でイライラしているお客様があまりにも多いです」
――「『お客は神様なのに、神様に意見するな』と言われた」
――「購入した商品の使い方がわからない、店員の説明が悪いからだから、家まできて説明しろといわれ、怖がった従業員がはい、と言ってしまったため、付き添いで行きました。そこで使い方を説明したが納得されず、3時間ほど説教され拘束されました」
――「罵声、椅子を蹴られるなど。不当なクレームの繰り返し。それまでに多くの対応者の労力を奪った。組織の方針でひたすら謝罪をする傾向にあり、被害を受けた者は、会社から守ってもらえていないと感じることで二重に傷ついている気がする」
読んでいるだけで気分の悪くなるようなコメントが目に飛び込んできます。筆者らが分析を手掛けた、カスタマーハラスメント実態調査(労働組合UAゼンセン、2024年)から引用したものです。
カスタマーハラスメント(以下、カスハラ)とは、人と接する仕事、いわゆる対人関係を伴う業種(小売りなどのサービス業、市役所や学校教育機関、医療介護福祉業など)において、顧客に相当する立場の者から、対応者である従業員に対して行われる、精神的・身体的な攻撃行為などの、不快で非常識な言動、常識やサービス範囲を逸脱した不当な要求を指します。
近年この問題は、労働力不足やコロナ禍などの社会情勢も相まって、社会的に大きな関心を集めており、企業や自治体などで様々な対策が始まっています。2022年2月に厚生労働省が発表した「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」は、その具体的な対策の助けとなるように、カスハラの定義、具体例、従業員がカスハラを受けた際の対応方法や組織がとるべき防止策について言及されています。
このマニュアルは、カスハラが、「就業者にとって著しく就業環境を害するものである」ことを示しています。たとえば従業員に対する土下座の強要、胸ぐらをつかむ、長時間にわたりしつこく繰り返しクレームを言い続ける、といった悪質な行為は、就業環境を著しく害することが容易に想像されますし、従業員の心身の健康を損ねうることも推察できます。しかし、「悪質な行為」といったときの具体的な基準はどこにあるのでしょうか。
「線引きが難しい」
カスハラの話題で一番多く出てくる声の1つは「カスハラの線引きが難しい」ということです。この図の左側にある、常識的なご意見・ご要望といったものは、サービスや製品の向上に対する貴重なお声です。組織や従業員にとって成長につながるとても大切なご意見です。
ただそれが右側のグレーな部分になるに従い、悪質なクレームや攻撃的な言動になっていく、すなわちカスハラといわれるものに近づいていきます。右側の黒い部分、非常識な暴力行為は現行法でも適応できるレベルとなるでしょうが、その間となる、常識と非常識の境界は、わたしたちそれぞれの感覚によって異なるでしょう。その「わたしたちの感覚」といったあいまいなものをどう規定していくか、そこがポイントとなるのです。
そのカスハラのグレーゾーンを明確にするために、私が代表を務める協会では、2つのツールを用いてその線引きを明らかにしています。
1つ目は、要求(サービス)の内容と態度・言動の度合いを2軸で評価するというもの。カスハラというと、胸ぐらをつかむ、などの「攻撃的な態度」(縦軸)ばかりが強調されがちですが、顧客が要求しているサービス範囲が、提供しているサービス範囲に合致しているか(横軸)、というのも、とても重要です。まさに従業員が体験しているカスハラのデータを用い、企業ごとの線引きを決める分析を行っていきます。
そして2つ目は、従業員が「日常的にどんな困難な顧客に相対しているか」を可視化できる指標です。これはもともと英語圏で研究開発されていたものを、筆者らが日本語版化したものです。先に紹介したUAゼンセンカスハラ実態調査2024年度版のほか、いくつかの企業でこの指標を用いて調査研究を行っているため、4万人ほどのデータが蓄積されているところです。
このチェックリストは、従業員が日常的にどんな顧客と接しているかを可視化できる指標ですから、メンタルの状態、働きがいや生産性との関連などを検討することにより、カスハラの実態を把握し、適切な対策を講じることが可能となります。
最近トップメッセージとして「われわれは毅然とした態度で接客致します」という発信が相次いでいますが、実効性のある顧客対応・カスハラ対策に踏み込むには、その宣言から一歩進めて、このような科学的なデータに裏打ちされた、組織独自の線引きづくりとその共有が必須であると考えます。
カスハラ三重苦
さまざまな組織のカスハラに関するデータを分析していて、いくつかの発見がありました。中でも特筆すべきは、従業員にとってカスハラによるストレスには大きく3つがある、ということでした。
1つ目はカスハラそのものによるストレス、2つ目はまわりのサポートや励ましがないことによるストレス、そして3つ目は、不甲斐ない自分に対する自責感や無力感によるストレスです。カスハラそのものは、行為者が不特定多数の顧客などですから、なかなかゼロにするのが難しいもの。それならば組織は、2つ目、3つ目のストレスを減らす施策に目を向けるのも大事なポイントとなるでしょう。
たとえばカスハラを受けた対応者を、同僚や上司、組織ぐるみで支援し、応援体制を整えることは2を減らすことに繋がります。カスハラの自社版マニュアルや組織フローを策定したり、相談窓口を設ける。日々現場で奮闘しているスタッフを、複数で労い、話を聴いたり、解決策を一緒に考える、そんな多方向の支援が極めて重要です。
また真面目で責任感の強い従業員ほど、難渋なクレームに真摯に対応し、心身の健康を損ねてしまう傾向や、頑張っているリーダーにカスハラが集まりやすい実態があり、これらがさらなるストレス反応に繋がってしまうことが分かっています。カスハラ対策を考える際、顧客の攻撃行動以外の要因で、アプローチ可能なポイントが複数あることが分かりますね。
サービス業・対人援助職は感情労働といわれます。従業員は自分の感情を抑え、いやな気持になったとしてもその気持ちとは裏腹に「いつも笑顔で対応すること」が求められます。このことは、自分の感情と表出する表情との差異で、認知的不協和というものを起こし、それがわたしたちの心に大きな負担となるのです。
従業員が非常識な顧客に耐えながら心とは裏腹の笑顔を浮かべなくとも、心から楽しんで接客できるようになるには、カスハラ客の軽減のみならず、まわりの支援や、従業員のスキル・対処力向上といった環境を整えることが必要です。
カスタマーハラスメントの複合的要因
このようにみてくると一見カスハラは、過度な要求や理不尽な言動をする顧客だけに焦点があたりがちです。ところがじつはカスハラというものは、様々な要因が絡み合って起こっていることがわかっています。顧客と対応者、そしてその関係性(顧客と対応者の相性など)、組織の要因、業種業態に特有の事情、社会経済状況などなど…、わたしたち自身消費者として、お店に行った時のことを考えてみるとわかりやすいかもしれません。
お店に入ったときは店員さんに攻撃的な態度をとるなんて気はなかったのに、帰るころにはイライラ、もやもや、不快なきもちになること、ありませんか。例えば対応者の不遜な態度、言い終わらないうちにかぶせるような受け答え、急いでいるのに丁寧すぎる対応、自分だけサービスを受けられなかった不公平感、お店のまどろっこしい配置、急激な人員削減によるサービスの偏りなどなど…。
これらがきっかけ(トリガー)となって、またはそれらが複数つみ重なり、カスハラが生まれてしまう。きっかけは単一かもしれませんが、往々にしてこのような複数の要因が絡み合って、不幸にもハラスメントが生まれてしまうことがイメージできるでしょう。
整いつつある制度
2022年厚労省より、カスタマーハラスメント対策企業マニュアルが発布されて以降、さまざまな動きがありました。
2023年9月には、労災認定を評価する基準となる「業務による心理的負荷」の中に、「顧客や取引先、施設利用者等から著しい迷惑行為を受けた」、いわゆるカスタマーハラスメントが追加されました。これでたとえば、カスハラを受けた従業員が心身の不調をきたし就業不能になった場合、労災認定が下りる可能性が出てきます。
また、2023年12月には旅館業法が改正されました。過剰なサービスの要求や、長時間にわたる不当な行為など、いわゆるカスハラを行った者の宿泊を拒むことができる、いわゆる“宿泊拒否事由の追加”、がなされています。また2024年夏現在、従業員をカスハラから守る対策を講じるよう、企業に義務付ける方針が厚労省より出されており、関係法の改正に向けて準備が進んでいます。
さらに東京都をはじめいくつかの自治体では、カスハラ防止条例の制定に向けて動きが加速しています。これら一連のカスハラ対策はすべて、従業員の心身や就業環境を守る極めて大切な取り組みであり、日々、困難な顧客対応に苦しんでいる方々にとって、組織や国が後ろ盾となる、心強い施策となるでしょう。
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