39年前、日航ジャンボ機が群馬県上野村の御巣鷹に墜落しました。この御巣鷹の尾根へ毎年慰霊登山を続けている東日本大震災の遺族がいます。登山を続ける理由とは何なのでしょうか。tbc中村洋輝記者が同行取材しました。

東日本大震災で長男を亡くした夫婦

8月12日、宮城県から「御巣鷹の尾根」に向かった田村孝行さん、弘美さん夫婦です。

田村弘美さん:
「39年間維持している。やり続けている命に向き合う姿勢は一緒だね」

2人は、2011年の東日本大震災で25歳だった長男・健太さんを亡くし、震災後は、語り部として活動してきました。

群馬県上野村の御巣鷹の尾根は、1985年8月12日、日本航空のジャンボ機が墜落し520人もの命が失われた場所です。田村さん夫婦は、2015年から慰霊登山を続けています。

10年近くもの間、登り続ける理由とは何なのか。その答えを知るための同行取材です。

田村さんが慰霊登山をはじめたきっかけとは

今回、記者のほかにも同行した人たちがいました。矢崎碧さんは、メディアへの就職を希望し活動する中、田村さんと知り合いました。

東北大学大学院生 矢崎碧さん:
「田村さんとお知り合いの記者さんと知り合って、今年登るけどどうかと誘っていただいいた。遺族の方々の様子を見ながら登らせていただくのは、すごくありがたい」

みんなで御巣鷹の尾根を目指します。登山を初めてすぐ、うれしい再会がありました。日航ジャンボ機墜落事故で次男の健くんを亡くした美谷島邦子さんです。

田村さんが、慰霊登山を始めたのは、美谷島さんの著書を読んだのがきっかけだそうです。今では家族ぐるみで付き合いながら支え合っています。

震災で長男を亡くした田村弘美さん:
「美谷島さんを介してご子息ともつながりができて、このうえない幸せです

さらに…。

大切な人を亡くした人たちが繋がる場所

田村さんが「この間はどうもね。ありがとうございました」とあいさつする女性、シャーロック英子さんは、2014年に起きた御嶽山噴火で親族を亡くしました。

毎年8月12日は、災害や事故で大切な人を亡くした人たちがこの場所に集まります。

階段や手すりが整備されているとは言え、山の急な斜面。決して楽な登山ではありません。

震災で長男を亡くした田村孝行さん:
「色々な遺族の方や繋がっている人と再会して、握手もしてお互いの活動の確認をした」

今年で63歳の孝行さん、しっかりとした足取りで記者の先を行きます。

息を切らし一緒に歩きながら、登山を続ける理由が少しずつ見えてきました。

健太さんと健くんがキャッチボール

震災で長男を亡くした田村弘美さん:
「何も話さなくても思いは一緒なので。一緒に歩くことで心強く思っています」

1時間ほどかけて「御巣鷹の尾根」に到着。その後、田村さんたちは、9歳で亡くなった美谷島さんの次男、健くんの墓標に足を運びました。39年前、亡骸が見つかった場所です。

震災の津波で亡くなった長男・健太さんと健くん。名前のつながりにも不思議な縁を感じているといいます。

田村さん夫婦は、墓標に健太さんと健くんの名前が書かれた野球ボールを供え、手を合わせました。

震災で長男を亡くした田村弘美さん:
「今年も来ましたよ。健ちゃんと健太と、キャッチボールするように(毎年)置かせてもらっていた」

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