8月末の閉店を前にいま、多くの人が別れを惜しんでいるのが青森県平川市尾上の「古川菓子舗」です。

親子3代で93年にわたり守ってきた味は、地域の人にとっても“特別な存在”となっています。

親子3代93年間守ってきた店が閉店へ 理由は…

創業1931年、平川市尾上地区で地元の人に愛されてきた「古川菓子舗」。8月末で歴史に幕を下ろすことになり、いまは別れを惜しむ常連客が多く訪れています。

常連客
「寂しくなるね。いままであるのがなければ」

「すごく残念でした。ちょうどモンブランもあって、みんな家族好きで買いにきました」

根強い人気を誇る「モンブラン」を始め、洋菓子・和菓子が並ぶショーケースも品数が少なく、空きスペースが目立つようになりました…。この菓子を作る職人を確保できなかったことも閉店の大きな理由の一つだといいます。

「苦渋の決断でした」高齢になる菓子職人「休ませてあげたい…」

古川菓子舗 3代目店主 古川裕子さん(61)
「苦渋の決断でした。父が倒れて一番中心になった職人の叔父が80歳を過ぎてしまって、叔父を休ませてあげたいと思いました」

店は親子3代が歴史をつないできました。

初代店主・古川久司さんは「せんべい」や「ういろう」などを作り、戦時中も店を守りました。その店を盛り立てたのが、2代目店主で裕子さんの父・陽太郎さんです。

東京の製菓学校で学んだ洋菓子を提供しただけではなく、伝統的な和菓子も丁寧に作り続けました。

『裕子、店を頼む』店が命だった父

古川菓子舗 3代目店主 古川裕子さん(61)
「(2代目店主である父は)いつもこの席に座って作っていました。いいの作っているなと思って…。わたしがすごく好きなのはタイの木型。タイを白とピンクにしてお正月に出していました」

この「タイの練り切り」は、結婚式や出産祝いなどで重宝されたといいます。その技術は高く、この本物と見間違うような花は和菓子で作り上げました。こうして、大黒柱として店を支えてきた陽太郎さんも2020年冬、急に体調を崩します。

古川菓子舗 3代目店主 古川裕子さん(61)
「(父は)店が命という人だったので面会に行くと店はどうなっているのかと必ず聞いて、『裕子、店を頼む』と言われて、私が継ぐことになりました」

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