パリオリンピック™で、スケートボードの女子ストリートが行なわれ、仙台市出身の赤間凛音選手(東北高校1年)が銀メダルの快挙です。地元宮城で力を育みオリンピック銀メダルに輝いた赤間選手、その雄姿をかつての恩師も故郷から見届けました。

世界最高の舞台で力を出し切った赤間凛音選手。

小学校4年生の彼女を取材していました。

赤間凛音選手(小学校4年の2018年当時):
「難しい技が決まったらすっきりしてすごくうれしいです」

赤間選手はサーフィンをしていた父の影響でスケボーを始め小学生時代から早くも才能を開花させました。

赤間凛音選手(小学校4年の2018年当時):
「世界で活躍するスケーターになって、荻堂先生を世界一の先生にする」

当時、指導者として彼女に基礎を叩き込んだのが、荻堂盛貴さんです。

28日夜、愛弟子の晴れの舞台を地元宮城から見届けました。

恩師 荻堂盛貴さん:
「実際、この場所(オリンピック会場)で凛音が滑っているのを想像するとちょっと緊張してきた。でも大丈夫だと思います」

幼少期の誓いそのままに赤間選手がオリンピックの舞台で最高の演技をみせます。

試合を見守った荻堂さんはオリンピックの舞台でも彼女が持つ、負けん気の強さが垣間見れたと語ります。それはライバル吉沢選手に逆転を許した直後のシーン。

赤間凛音選手:
「吉沢恋ちゃんが決める前からちょっと泣いていて、(技が)決まらなくて悔しくて泣いていた」

恩師 荻堂盛貴さん:
「あれは…凛音です。本当に悔しいんだと思います本当に感動させてもらったので、お疲れ様とありがとうという気持ちでいっぱいです」

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