東北電力女川原子力発電所2号機は安全対策工事を終え、今年9月頃の再稼働が見込まれています。半世紀にわたり原発のあり方を問い続けてきた住民はいま、何を思うのでしょうか。

再稼働の反対集会に500人を超える人

7月7日、宮城県女川町で原発の再稼働について考える集会が開かれました。企画したひとり、町内に住む阿部美紀子さん(72)です。再稼働に反対の立場で声を上げ続けてきました。

阿部美紀子さん:
「(町民の中には)自分は意思表示できなくても、女川で(集会を)やっているということで励まされる人はたくさんいると思う」

集会には県の内外からおよそ550人が参加し、女川原発2号機の再稼働中止を求める決議文が採択されました。司会を務めた阿部さん、この日は特別な日でもありました。

阿部美紀子さん:
「ちょうどきょう7月7日は、私の父の13回忌なんです」

反対派のリーダーだった亡き父の闘い

阿部さんは50年前、安全性や環境への影響を懸念し、女川原発の建設に反対する運動に加わりました。亡き父・宗悦さんは反対派のリーダーでした。

町を二分するほどの激しい反対運動を経て建設に至った女川原発。

阿部美紀子さん(2023年11月1日取材):
「(建設)阻止闘争は結局負けた。その阻止闘争を次はどう展開していくのかが課題だった」

2011年には東京電力福島第一原発事故が発生しました。全国すべての原発が運転をストップし、政府の原子力政策も一時抑止的なものとなりましたが、2022年、原発の新増設や再稼働の推進に舵を切りました。

こうした中でも原発ゼロを主張し続けてきたのが、阿部さんです。

阿部さんが原発反対を言い続ける理由

阿部美紀子さん:
「避難計画ができたからいいというわけではない。避難計画を作らなければならないくらい危険なものだということを認識してください」

この日は、仙台や福島から女川を訪れた人たちを案内し、震災当時の町の様子や50年前の反対運動のことを伝えました。

阿部美紀子さん:
「そっちの山の裏に泊浜という浜がある。そこは浜全体でこぞって女川の集会にいつも来ていて、最後まで反対していた」

13年前、福島とは異なり重大事故が起きなかった女川原発。東北電力は、国の新規制基準に基づきおよそ11年、5700億円を投じて安全対策工事を完了させました。海抜29メートル、総延長800メートルの防潮堤を整備し、2号機の原子炉建屋内ではおよそ9000か所の耐震補強工事を施しました。

再稼働に理解を示す住民も多くいますが、ある女川町民は「再稼働は仕方ないと思うが、賛成と言いづらい雰囲気が町にはある」と話します。

専門家が「原子力に頼らざるを得ない」と話す理由

エネルギー政策の専門家は、「現状は原子力に頼らざるを得ない。国と事業者が住民に真摯に向き合う姿勢が大切」と指摘します。

東北大学 竹内純子特任教授:
「原子力の活用について最も難しいところは、そのメリットが“立地地域の人に及ぼされる”というよりは“国全体を支える”というところ。国のために地域は我慢しなければならないのか、怖いのはいやだけど受け入れなければならないのか、そんなはざまに皆が立たされる」

竹内特任教授は、日本の資源に関する現状について次のように話します。

東北大学 竹内純子特任教授:
「日本は残念ながら国土の下に石油も石炭も天然ガスも埋まっていない。原子力を使わないと少なくとも脱炭素など全く語れない。製造業を成り立たせる、あるいは公共の交通機関、そしてこれから急増が予想されるデジタル化社会を支えていくとなるという点では、太陽光や風力だけに依存するということで賄うのは極めて厳しいと言わざるを得ない」

7日の女川町の集会の後、阿部さんら参加者は町内をパレードしました。

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