山口県内は6月30日から7月1日にかけて大雨に見舞われ、一時、避難指示が出される地域もありました。去年のちょうど同じ日も大雨が県内を襲いました。美祢市ではJR美祢線の鉄橋が倒壊し、現在も運行ができないままです。この1年でなにがかわったのか振り返ります。
「まさかこんなことに」被災者が振り返る
松原丈士さん
「やっぱりねえ、水をなめてるっていうところがありますね。たかだか水で、まさかこんなことになるとは思ってませんでしたから」
去年、6月30日の深夜から7月1日未明にかけて、美祢市を記録的な大雨が襲いました。家屋55棟が全半壊し、399棟が浸水の被害を受けました。また市内を流れる厚狭川の水があふれ県道で走行中のトラックなど7台が巻き込まれました。1人の行方がいまだわかっていません。
この7台の中に松原さんの車がありました。深夜、仕事を終えて下関市から帰宅中、走っていた車が突然動かなくなりました。
松原さん
「この辺で止まって降りようと思ったら、あっというまに胸の位置まできましたんで、ドアが動かないんで、しばらく水が上がるのを待って、向こう側にいこうとしたら溝があるんですよ。道路が見えないんでドボンと落ちちゃって、これは死ぬかなと思ったですけどね」
松原さんはぎりぎりのところで水から上がって、付近の家に助けを求めました。水はみるみるうちに人の背丈ほどにあがってきたということです。後続の車も次々に巻き込まれ、中には、逃げられずに車の屋根に上がって水が引くのを待つ人もいたそうです。
松原さん
「ちょうど明け方の5時、4時くらいからやっと水が引き始めて。やっと引き始めたんでみんな下りてきてあそこの家に集まって」
松原さんは1年たったいまでも、この場所を通るたびに「自分だけは大丈夫」と思っていたことを思い出すと言います。
松原さん
「基本的にみんなそう思いますもんね。『自分だけはなにがあっても大丈夫』だとそれがいちばん危ないでしょうね。いつ自分に被さってきてもおかしくないって考えてればいいんでしょうけど、また平和が続くと忘れちゃうんですよね」
県と市は、こうした災害が繰り返されないよう河川の改修を進めていて、県は、厚狭川の川底をさらうなど、10年かけて工事を行うことにしています。
今年もまた大雨、早めにの避難「ためらわず」
迫田栄子さん
「トラウマになってますから去年は…たいへんですよ。私帰るのに車がこんなになってるのみてるからねえ」
今年も6月30日から7月1日にかけて県内は大雨に見舞われました。1日早朝。厚保公民館には避難してきた市民の姿がありました。去年の水害を通して早い避難、声を掛け合っての避難を強く心がけるようになったと言います。
迫田さん
「私たちはいつも…このまえも線状降水帯ができるけえって来たんですよ、2人が」
もともとが顔見知りですが、台風など大事を取って避難をする機会を重ねると、一緒にいる間は気兼ねするどころか、安心して過ごせると言います。持ち出し荷物もふだんから準備しています。逃げることをためらわないと市民らは口をそろえて言います。
迫田さん
「とにかく早め早め、迷惑かけるかもわからないけどいちばんですよね」
JR美祢線の復旧に注目集まる
村岡嗣政知事
「これは必ず存続をしていかなければいけない、これを機に廃止というような議論にいくっていうことは、到底許されるものではない、認められるものではありませんので」
去年の大雨では、厚狭川にかかるJR美祢線の鉄橋が大雨で倒壊しました。美祢線は全区間で運行ができなくなり、現在も運休が続いています。全国で赤字路線についてとりざたされる中、美祢線の復旧はどうなるのか、注目が集まりました。
美祢・山陽小野田・長門の沿線3市が参加する協議会は、復旧後の利用促進に向けた作業部会を立ち上げ、具体的な利用促進策を検討しました。5月に開かれた会合では1日690人程度の輸送密度を、ほぼ倍の1300人程度に引き上げる試算も示されました。しかし…
JR西日本中国統括本部・広岡研二広島支社長
「当社単独での復旧というのは、非常に難しいのではないかというふうに考えているところでございまして、仮に復旧をさせたといたしましても、ご利用状況の推移でありますとか今回のワーキングの検討結果を踏まえますと、当社単独で持続的な運行を行っていくというのは困難ではないかと」
「地域にふさわしい公共交通」とは?
早期復旧を願う地元に、JRからは厳しい状況が示されました。
広岡支社長
「地域にふさわしい公共交通を早期に復旧させていということを実現させることを目指したいというふうに思っているところでございます」
篠田洋司美祢市長
「どうか、乗車密度だけではなくて地方創生また、地方の活性化に資するような視点をどうか持っていただくようにお願いしたいと思います。鉄道は線区や路線を切り取って議論するのではなくて鉄道はネットワークだと言うことを申し上げているところでございます。従いまして在り方と復旧は別問題だと言うことで」
JR側からは「地域にふさわしい公共交通を早期に復旧させることを目指す」などとしたことばも出ました。ことばの意味をはかりきれない状況の中、結論は見えていません。
代行バス利用者「日常早く戻って」
美祢線が運行できなくなって以降、バスによる代行輸送が行われています。通勤通学の時間帯には乗客が集中し、まれにですが、満員で次の便を待たなければいけないこともあったそうです。
男子高校生
「1回だけ途中で乗り切れてなくて次のバスで行くみたいな人もいました。せっかく100周年のラッピングされた電車とかもあったんで、もうちょっと乗りたいなって思いはあります」
女子高校生
「昔から100周年まで続いてきた美祢線なので早く復興して日常がはやくもどればいいなって思っています」
去年の水害は、全線開通100周年で車両を記念のデザインにはり替えるなど、市内外に乗車をよびかけて美祢線を盛り上げようとしていた矢先の出来事でした。
煙を吐いて力強く走るSL。沿線の人々に愛された美祢線。6月まで厚保駅と於福駅の2か所で写真展が開かれていました。多くの人が訪れ、過去の美祢線の姿を懐かしんだといいます。しかしその一方将来の美祢線の姿は、被災から1年が経ったいまでもいまだ見えては来ません。
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