皆さんは、岡山市在住の竹内昌彦さんをご存知でしょうか?生後間もなく右目を失明、さらには小学生のときに左目を失明し、これまで70年以上にわたって目の全く見えない人生を歩んできました。
そんな竹内さんのライフワークとも言えるのが「講演」です。これまで30年間で3000回近くの講演を行い、悩める多くの人たちを救ってきました。
小学生時代の壮絶ないじめ、青年期の大きな挫折、幼き長男の死...多くの苦難を乗り越えた竹内さんから紡ぎ出される言葉は、今を生きる人たちの心に響きます。
そんな竹内昌彦さんを、RSKラジオ・RSKイブニングニュース・RSK地域スペシャル メッセージでは15年に渡って追い続けてきました。「死ななくてよかった」「その言葉で命を救われた」「生きる勇気をもらった」...竹内さんの言葉・人生をシリーズでお送りしていきます。
「つらかったら、逃げてもいいから死なずに待て」
(竹内 昌彦さん)
「いじめが原因で子供が首をつったの飛び降りたのって、そんなニュースを聞いたことあるでしょう。私はあれを聞くとね、自分の小学校1年生の頃を思い出す。つらかったんじゃろう。悲しかっただろうって」
「でもね、それに私は腹が立つんよ。『何で死ぬやつがあるか』って。私、子ども達にいつも言ってるんですよ。『みんな、自分の命を自分一人のもの』と思うとんじゃないか。そいつは大間違いぞ」
「みんなの親は、今すぐこの場所ででも『自分の子供を助ける代わりに死ね』と言われたら...いいか、親は自分の子供の代わりなら、いつでもどこででも死ねるで、親はそう思うてみんなを大きうしてきておる」
「つらいことは、続かない。それを信じて、つらいときが来たら粘る、しのぐ。どうしてもつらかったら、逃げてもいいから死なずに待て。それを私はみんなに言うときたい」
「目が見えない」とは...
岡山県立岡山盲学校の講師・竹内昌彦さん(取材当時70歳 現在79歳)。目は完全に見えません。8歳のときに失明しました。「目が見えなくなる」とはどういう状況なのか...竹内さんが教えてくれました。
(竹内 昌彦さん)
「あなたが目をつぶった、目を隠した状態ですよね。見えないんです、物が。8歳、9歳までは、遠くは見えるけれど色も形も分かった。その記憶は今も残ってる」
「ですから、今見えないんですけど、ここに机があり、そこにあなたがおられ、こちら側にもう1人の方がおられ、そういう姿は目の前にあるんです」
「虚像ですよ。見えてないんですから」
「見えないからこそ、見えてきたもの」があった それは...
今は、その目で光を感じることもありません。しかし、何も見えなくなったからこそ、「見えてきたもの」があるといいます。
(竹内 昌彦さん)
「優しさとか、思いやりとかね。『目で見えないもの』にかなり重要なことがあるということです。気づいたことがある訳だから、自分が知ったことを大事なことはみんなに知らせたい」
その気づいた大事なことを、全国を回り、講演会で伝えています。
(竹内 昌彦さん)
「目が全く見えない、そういう人生を60年もやったんですよ。こういう経験は皆さん持っておられんから、その話ならできるということでね。今日も呼んでいただいたので喜んで来ました。一生懸命やります」
伝えているのは「生きていく意味」「命の重さ」。苦難の人生を歩んできたからこそ、竹内さんの言葉は、今を生きる人たちの心に響きます。
竹内先生が語る「見えないからこそ、見えてきたもの」とは具体的にはどういったものだったのか。竹内先生の「命の言葉」【第2話】は、7月19日(金)配信予定です。
※竹内昌彦さんが理事長を務める、手術さえすれば目が治る子どもたちを支援する「ヒカリカナタ基金」はこちらです。https://www.hikarikanata.com/
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