県外で活躍する青森県民を紹介するターニングポイント。人生の転機となったそのとき、どのような思いや決意があったのか。
第82回のストーリーは、東北町出身の黒川遼(くろかわ・りょう)さん。
現在、長距離のプロランニングコーチとして、もっと速く走りたい人やメディアで活躍する人などにランニングフォームの改善方法などを指導している。
幼少期が長距離向き!?「女の子よりも足が遅い」でも走ることは好き
黒川さんの幼少期は、内気でありながら走り回るのが好きな子どもだった。
黒川 遼 さん
「女の子より足が遅かったっていうのもありますが、割と走り回るのが好きだったので、鬼ごっことかでずっと走り回る子だった」
小学校から陸上部に入り、成長時期とともに、急に足が速くなった。
そこで初めて、結果を残す。
県大会優勝!城西大学で「箱根駅伝」出場!最も過酷な区間“5区”に挑戦
黒川 遼 さん
「小さい大会に出たんですけど、初めて優勝してしまって、そこから『なんか楽しい』みたいな気持ちが芽生えた」
何よりも家族がとても喜んでくれたことがうれしくて、より一層、陸上にのめり込んだ。中学生になると、意識が全国へと向かい、高校はスポーツ強豪校の青森山田へ。
黒川 遼 さん
「中学校のときにや県でトップとなり、全国大会へ出たということもあり、青森山田の陸上部から声をかけてもらった。当時の青森山田の監督も結構強かったし、先輩も厳しかったので、休まるタイミングっていうのがなかなかなかった」
青森市内での慣れない寮生活や、弱音を吐けない環境で、支えてくれたのは家族だった。
黒川 遼 さん
「練習量も増えたり、けがもしてしまって、なかなか言い出せる環境じゃなかったっていうのもあるので、足が痛いとか。両親に電話して、気持ちがあふれてしまった時もあったんですけど、そのときにも支えてくれたところがやっぱり大きかった」
全国高校駅伝大会にも出場した経験から、陸上部の監督に紹介され、埼玉の城西大学へ進学。
そこで、「箱根駅伝」を経験した。
黒川 遼 さん
「1回目が5区の3年生のときです。いざ箱根駅伝の当日、直線の(箱根の)山の向こう側を見てしまったときに、果てしなくて…」
トラウマになるほどの厳しい結果に終わり、4年生でも箱根駅伝に出場をしたが、区切りをつけて陸上をやめる決意をし、社会人に。
陸上やめて就職 イベントでのコーチを機に気づいた“教える”楽しさ
社会人になった後も、先輩からの誘いで週末に大手メーカーのイベントなどでランニングコーチをやっていた。指導する側になったことで、決別していた陸上への考え方が徐々に変化していた。
黒川 遼 さん
「普通に働くサラリーマンとかでマラソンにのめり込んでる人がいることに感動みたいなところと、私自身が経験してきたことを伝えて喜んでくれるっていうところがすごくうれしかった」
ランニングコーチを仕事として確立させるために専門学校に通い、「鍼灸あん摩マッサージ指圧師」の資格を取得。今では、オンラインサロンでの会員も240人を突破した。これからもランニングで悩める人に寄り添っていく。
黒川 遼 さん
「人間の本来のスムーズな動きを大事にしているので、どこの筋肉がという単一のところではなくて、全身がちゃんと可動できるようなアプローチの仕方は意識しています」
黒川さんが、この先に思い描く未来は―。
黒川 遼 さん
「選手として人間として育ててくれたので、(プロランニングコーチとして)地域に貢献したりとか、チームに貢献したりとか、どんどん協力してやっていきたいなと思っています。青森の皆さん、私は選手を引退しても、まだまだ進化し続けようとして頑張っています。これからも応援よろしくお願いします」
次なるターニングポイントへ、挑戦は続く。
青森テレビ「わっち!!」月~金曜夕方4時25分
「Turning Point」2024年7月2日(火)放送回より
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