日本被団協のノーベル平和賞・授賞式は、広島にとっても特別な1日となりました。会場があるオスロで、その歴史的な1日を振り返ります。
夜明け前、現地時間10日午前8時すぎ。授賞式が行われるオスロ市庁舎にはノルウェーの国旗が掲げられていました。警備にあたる警察官の姿も徐々に増えています。
授賞式まであと4時間。体調が心配された被爆者もいましたが、全員、変わりなく、この日を迎えました。
森元たか子記者
「まもなく式が始まります。授賞式の会場には世界中のメディアが集まっています」
被団協の代表団は一番前のブロックに着席しました。会場には広島や長崎などから訪れた高校生平和大使の姿もありました。厳かな雰囲気に包まれる中、代表団の3人が入場してきました。
日本時間の10日午後9時。授賞式が始まりました。
ノーベル委員会フリードネス委員長「核兵器に依存した世界で文明が存続できると信じるのは浅はかだ。道は長く険しくとも日本被団協から学び、私たちは決してあきらめてはならない」
13歳のとき長崎で被爆した田中煕巳さんは演説で、自らの被爆体験を語りました。
日本被団協代表委員・田中 煕巳さん(92)
「そのとき目にした人々の死にざまは人間の死とはとてもいえないありさまでした。戦争といえどもこんな殺し方、傷つけ方をしてはいけないと強く感じました」
そして「人類が核兵器で自滅することがないように」と、核兵器廃絶を世界へ訴えました。
田中煕巳さん
「人類が核兵器で自滅することのないように、 核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう」
授賞式を終えた田中さんは―
田中煕巳さん
「(聴衆の表情は)色々でしたね。涙を流していらっしゃる方もいた。私の体験のところだったのかな。点数つけるなら、第三者ですよね、普通ね。自分じゃ出来が良かったか悪かったかは。自分で言うなら『普通』だったかな」
広島から参加した被爆者・田中聡司さん(80)
「思い出したね。原水爆禁止運動にかかわってきた様々な人たちの顔が浮かびましたよ。核兵器をなくすための戦いを起こしていかなければならない」
森元記者
「授賞式の一日を締めくくるトーチパレードが始まりました。これから代表団3人が待つホテルへと向かいます」
参加者は、亡くなった日本被団協の先人たち130人の写真パネルとともに、行進しました。
パレードの参加者
「おひとりおひとり被団協で活躍してきた先輩方です/せっかっくノーベル賞を被団協が・・活動した先輩方も一緒に授賞式にいこうと」
パレード終点となるホテルのバルコニーから被団協の代表委員3人が現れると、一帯に歓声があがりました。
その後、被団協の代表団全員が出席した晩さん会が開催。ノルウェーの王族や政府の関係者など200人が出席しました。歴史的な1日を終えた被爆者たち。受賞後も現地の高校や大学で被爆証言をして核兵器廃絶を訴えました。
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