日本被団協が選ばれたノーベル平和賞の授賞式が日本時間の10日夜行われ、長崎の被爆者らも登壇しました。被爆者にとって、被爆地長崎にとって、「歴史的な一日」となりました。
授賞式に参加したひとり、日本被団協代表委員の田中重光さん。現地では海外メディアの取材も受けています。
日本被団協代表委員 田中重光さん:
「喜びに溢れてる。また、責任重大やなという気持ちと両方重なってる状態ですね」
日本被団協代表理事の横山照子さんは、被爆後を原爆の後障害に苦しみながら生き、44歳で亡くなった妹からもらった手作りのコサージュを、初めて胸につけました。
日本被団協代表理事 横山照子さん:
「妹がね、亡くなった妹がね。作って、もう何十年もなるんだけど、初めてつけたのよ」
「お祝い事につけるお花なんですけど、お祝い事と言うと妹に気が引けてね…。でも今回だけは、彼女自身が核兵器の廃絶を願い、自分のような被爆者を再び作り出さないでと言ってたので。(核兵器廃絶に向けて)まだまだだから、妹にはもうちょっと力を貸してほしいと思ってつけました」
日本時間の10日夜9時からオスロ市庁舎で行われたノーベル平和賞授賞式には、日本被団協の代表委員3人が登壇しました。
ノルウェー・ノーベル委員会ヨルゲン・ヴァトネ・フリードネス委員長:
「皆様がこれまで生涯行ってこられた、そしてこれからも続けて行くであろう、比類なく貴重な活動に対し、深く感謝の意を捧げたいと思います」
スピーチしたのは、13歳の時長崎で被爆し、親族5人を亡くした田中煕巳さん。伯母たちを探しに被爆地を歩いた時のことを語りました。
日本被団協 田中煕巳代表委員:
「大けがや大やけどを負いながら、なお生きている人々が誰からの救援もなく放置されておりました。その時目にした人々の死にざまは、人間の死とはとても言えないありさまでした。たとえ戦争といえども、こんな殺し方、こんな傷つけ方をしてはいけないと、私はその時、強く感じたのであります」
田中さんは、自身の被爆体験を踏まえた上で、核兵器をなくすために世界中の人々に当事者意識を持ってほしいと呼びかけました。
日本被団協 田中煕巳代表委員:
「核兵器の保有と使用を前提とする核抑止論ではなく、核兵器は一発たりとも持ってはいけないというのが原爆被害者の心からの願いであります。核兵器国とそれらの同盟国の市民の中にしっかりと核兵器は人類と共存できない、共存させてはならないという信念が根づくこと、自国の政府の核政策を変えさせる力になること、それを私たちは願っております。共に頑張りましょう!」
日本被団協の代表委員で長崎被災協の会長を務める田中重光さんは、メダルを受け取りました。
日本被団協代表委員 田中重光さん:
「(今は亡き)山口仙二さんたちにあのメダルを持ってもらったらと思います」
父の遺影を持った被爆二世「家族としてもすごく嬉しくて」
長崎被災協の被爆者「遠足かね、運動会の前の日のごたっ高揚感」
授賞式の時間、長崎市役所ではパブリックビューイングが行われ、被爆者やその家族らおよそ160人が駆けつけました。代表委員にメダルや賞状が手渡されると、長崎からも大きな拍手が沸き起こりました。
長崎原爆被災者協議会監事被爆者・長野靖男さん(81):
「核兵器をなくさんといけない、その運動に立ち上がるというきっかけになってほしい」
第25代高校生平和大使 安野美乃里さん:
「春から大学生になるんですが、やっぱり周りを巻き込んでもっともっと世論を強めていきたい」
「長崎を最後の被爆地に」ー授賞式に出席した人もそれを見守った人も核兵器廃絶に向けて前進する決意を新たにしていました。
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