大きな社会問題になっている高齢ドライバーの問題。機械工学が専門の山梨大学大学院・伊藤安海教授がシニアドライバー支援の具体的なデータを踏まえつつ、あるべき対策を探る。
はじめに
運転経験が浅く運転技術が未熟な若年ドライバーは「初心ドライバー」として一般化することで有効な対策をとることができるが、心身機能、健康状態、生活歴、社会的背景の個人差が大きい高齢ドライバーを「シニアドライバー」として一般化することは困難である。それこそが、これまで行われてきた高齢ドライバー対策が思うように効果を挙げていない要因だと筆者は考える。
本稿では、高齢ドライバーに関して、(1)運転技能などの特性をどのように測るのか、(2)個人特性や生活歴と事故リスクの関係性、(3)運転リハビリの可能性、といった内容をこれまでの富士河口湖町で行ってきた社会実験などの経験に基づき解説する。また、疾患と運転の関係性に関しても最近の動向を伝える。本稿が高齢ドライバー問題の本質と対策について考える一助になれば幸いである。
運転技能をどのように測るか
多様な能力が複雑に関係する自動車運転の技能を客観的に評価することは実は大変困難である。運転技能の個人差が大きい高齢ドライバーでは、(1)視力、反応動作などの身体的特性の低下、(2)情報を同時に処理することが難しい、注意力の配分や集中力の低下といった心理的・脳機能的特性の低下、(3)過去の経験にとらわれる、「慣れ」と「だろう運転」といった運転的特性の低下、(4)コミュニケーション能力の低下といった社会的特性の問題、といったものが重なり合って運転技能の低下に至っている。
(1)身体特性の低下に関しては、免許更新時の視野検査では緑内障による視野欠損の多くが発見できないとの指摘もあり、医療の立場からドライバーの身体特性の低下を的確にとらえられる仕組みの構築が必要である。
(2)心理的・脳機能的特性に関して、現状の認知機能検査では大きな成果は期待できないが、運転に影響の大きい「情報を同時に処理する能力」に関しては有効視野検査やTrail Making Test(TMT) である程度評価可能なことが筆者らの研究で明らかとなっており、ドライブレコーダーによる実運転データなどと併せることで、より有効な検査システムが構築可能である。
(3)運転的特性、(4)社会的特性に関しては、運転教育問題としての側面が強いため本稿では割愛する。
なお、日頃同乗している家族による運転能力評価は信頼性が高いことが知られており、高齢ドライバー対策への活用をお薦めする。
富士河口湖町シニアドライバー支援事業からみえてきたもの
<富士河口湖町シニアドライバー支援事業の概要>
筆者は2007年に(当時室長をしていた)国立長寿医療研究センター生活支援機器開発研究室および富士河口湖町の関連部署と富士河口湖町社会福祉協議会のメンバーを主体とした富士河口湖町福祉勉強会を座長として立ち上げ、より長く安全運転を可能にするために有効な支援(町の事業)の在り方について1年近く協議を続け、2008年9月に独立行政法人科学技術振興機構の「研究開発成果実装支援プログラム」による3年間の事業支援が開始したのを契機に本格的に高齢ドライバー支援に乗り出し、その後、町の予算で2023年度まで事業を継続してきた。
事業の基本的な仕組みは、以下の2つの目的を達成するために町内の高齢ドライバーに対して年間5~6回実施するセミナーへの参加を促すというものである。第一の目的は、高齢ドライバーの運転能力を定期的にチェックして本人と周囲の人間が把握することである。
そして第二の目的は、継続的に運転能力トレーニングとアドバイスを行うことで運転能力の維持・向上を図ることである。なお、1回のセミナー実施時間は約2時間で20~30名程度の参加者に対して、次の①~⑦に示すメニューのうち、毎回2~3項目を実施してきた。
(1)簡易ドライビングシミュレーターを使用した運転能力(有効視野と危険回避能力)のチェックとトレーニング
(2)機器を用いた脳機能、身体機能検査
(3)安全運転ワークブックを用いた安全運転教育
(4)教習所等での実車走行の観察・評価
(5) 作業療法の専門家等による体操講座
(6) ドライブレコーダーを用いた日常運転チェックと座談会
(7) 町内のヒヤリハットマップ作り(高齢ドライバーが連携して実施)
<機器を用いた運転診断と運転トレーニングの可能性>
富士河口湖町シニアドライバー支援事業で行ってきた脳機能、身体機能などの検査、アンケートおよびトレーニング効果に関して、いくつか興味深い傾向がみえてきた。
まず、ドライビングシミュレーターによる有効視野および危険回避能力の成績は73歳未満の成績が顕著に高く、単年度のトレーニング効果も72歳未満でないと成績向上効果が期待できないことが明らかとなった。これらの結果から、運転能力および(短期的な)運転トレーニングの効果は72~73歳を境に低下していることが確認された。
しかし、複数年にわたる継続的なトレーニングの効果に関して分析してみると、図に示すように80歳以上でもその効果を確認することができ、長期間継続して運転トレーニングを行うことによって、かなり高齢になっても運転技能は向上する可能性があることがわかってきた。
<事故リスク増大の予兆を捉える>
図において6年連続参加者(1名)が6年目に大きくドライビングシミュレーターの成績を下げているのが気になるところである。そこで、この参加者のTMT(=注意・遂行能力を測る脳機能のテスト)の成績変化をみると、5年目から6年目にかけて大きく低下していることが分かった。また、アンケートから5年目まで「なし」が続いていた転倒歴と事故歴が6年目は「有り」に変わっていた。その他、運動頻度も6年目には低下していた。
以上より、脳機能、身体機能、日常行動の変化と事故や転倒のリスクは密接に関係していることが予想される。近年では、スマートフォンやスマートウォッチを用いて心身機能や日常行動のモニタリング、転倒検知も行えるようになってきており、事故リスクの高まっている高齢ドライバーを事前に検知する技術が社会実装される日も近いと思われる。
<個人特性や生活歴と事故リスクの関係性>
これまでの研究からドライビングシミュレーターの成績と教育年数(小学校入学以降の学校教育を受けた年数)には有意な相関がみられ、教育年数が少ないことが高齢ドライバーの危険回避能力やトレーニング効果の低下に影響を与えていることもわかってきた。同様にTMTスコアと教育年数にも有意な相関がみられる。実は、教育年数やIQと犯罪率や事故率には世界的に高い相関があることが知られており、高齢ドライバーの運転技能や脳の処理能力にも同様の影響があることが証明された格好になる。
しかし、教育年数はその後の職業や生活習慣に大きな影響を与えるため、教育そのものが影響しているのか、学校卒業後の生活歴が影響しているのかは不明である。そこで筆者らは現在、ライフコースに注目した高齢ドライバーの能力・特性調査に取り組んでおり、各種能力検査に加え詳細なインタビューを行うことで、ドライバーの人生、社会や文化の変化がどのように運転能力、事故リスクに影響しているかを分析している。
疾患と運転の関係性
加齢や疾病による交通事故の原因として認知機能の低下や認知症に注目が集まりがちである。しかし、それ以上に大きな問題として、フィンランドやカナダ等の調査結果から、交通死亡事故の一割以上がドライバーの体調変化、とくに意識喪失に起因した事故(健康起因事故)であることが明らかになってきた。
わが国でも、2011年には,てんかん発作で意識を失ったドライバーにより栃木県鹿沼市で登校中の6人の小学生がクレーン車にはねられて死亡する事故が発生したことは記憶に新しいところである。翌年の2012年には京都市でてんかんの持病をもつ男性が自動車を暴走させて8人が死亡する事故や、群馬県でツアーバスの運転手が睡眠時無呼吸症候群の影響で運転不能になり45人が死傷する衝突事故が発生している。
健康起因事故の引き金となる疾患としては、不整脈、脳血管疾患、大動脈疾患、糖尿病(低血糖)等が挙げられるが、これらに罹患するリスクは高齢者ほど高いため、高齢ドライバーの増加による健康起因事故の増加に対しては早急な対策が必要である。
なお、わが国における健康起因事故の実態については近年、滋賀医科大学の一杉正仁教授らが実態調査に乗り出し、わが国でも交通事故の約一割はドライバーの体調変化によるものであることが明らかとなってきた。このことは,「自動車運転の上限年齢の設定」や「高齢ドライバーへの免許更新試験の導入」といった対策では防げない交通事故が数多く存在することを意味している。
おわりに
高齢ドライバーが一律に危険であり、その原因は主として認知機能の低下にあるというような誤った印象を持つ方がまだまだ多いように見受けられる。
有効な高齢ドライバー対策を実現するためには、高齢ドライバーの特性、高齢ドライバー問題の本質をしっかり理解する必要があることが広く認知され、先進技術や学問・立場を超えた連携により、高齢ドライバーを含む多様な交通参加者にとって安全で快適な交通環境が実現されることを期待する。
<執筆者略歴>
伊藤安海(いとう・やすみ)
山梨大学大学院総合研究部教授。1996年、東京理科大学工学部機械工学科卒業。博士(工学)。警察庁科学警察研究所研究員、国立長寿医療センター生活支援機器開発研究室長、名古屋大学大学院特任講師などを経て、2018年より現職。
高齢ドライバーの運転診断・リハビリ技術の開発に携わる。
著書に「高齢ドライバー」(共著、文春新書)「高齢者ドライバーの安全運転を長期間継続可能にする支援システムの社会実装」(共著、工作舎)など。
【調査情報デジタル】
1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版(TBSメディア総研が発行)で、テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。2024年6月、原則土曜日公開・配信のウィークリーマガジンにリニューアル。
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