(左から)カマラ・ハリス CHIP SOMODEVILLA/GETTY MAGES、 ドナルド・トランプ IMAGESPACEーSIPA USAーREUTERS
<分断が進み、自国第一主義へと突き進むアメリカ──大統領選の結果は日本の金利・為替・貿易・企業にどんな影響を与えるのか>
アメリカ大統領選が間近に迫っている。日本経済はアメリカとの関係性が深く、常にワシントンの動向に左右されてきた。トランプ氏とハリス氏のどちらが大統領になってもアメリカの分断は確実といわれており、先行きは不透明にならざるを得ない。
経済政策については、両名に際立った違いがあるように見えるものの、根っこの部分では実は共通項も多く、総じて日本にとって逆風が吹きやすい。アメリカ大統領選と日本経済への影響についてまとめた。
◇ ◇ ◇アメリカ大統領選挙は2024年11月5日に投票が行われる。共和党のドナルド・トランプ前大統領と、民主党のカマラ・ハリス副大統領との間で激しい選挙戦が繰り広げられているが、共和・民主両党とも内部で深刻な対立を抱えており、一枚岩の選挙戦とは言い難い。
背景となっているのは、アメリカ社会の根深い亀裂と分断である。
アメリカ経済はリーマン・ショック以降、量的緩和策の効果も相まって順調に成長してきたが、好景気の波に乗る富裕層と、それに乗ることができない中間層以下の分断が深刻となっている。
量的緩和策は中央銀行が意図的にマネーを市場に供給し、インフレをつくり出す政策であることから、物価と株価が上昇しやすくなる。富裕層の多くは資産価格の上昇によって富を拡大させる一方、勤労所得しかない中間層には物価高の悪影響が大きく好景気の恩恵が及びにくい。
アメリカと日本の金利政策と物価上昇 REUTERS (2)もっとも、これまでは物価上昇が激しいとはいえ賃金も物価に追い付いていたので、中間層以下の不満も何とか吸収できていたが、コロナ危機やロシアのウクライナ侵攻をきっかけにその図式が崩れ始めている。
量的緩和策による貨幣的なインフレに加え、原油価格や食料価格の高騰など、コスト・プッシュ型のインフレも加わり、物価上昇に賃金が追い付かない状況が顕著となってきた。
今のところ何とか景気は維持しているものの、物価上昇と不景気が同時に進んだ1970年代のスタグフレーションが再来するのではないかとの見方も一部から出ている状況だ。
一連の経済環境の変化によってアメリカ国民の価値観は大きく変わり始めている。
これまでは多くのアメリカ人がグローバル経済のメリットを受け入れており、アメリカ企業が世界中で活動を行うことや、外国資本がアメリカに入ってくることは、最終的に自らの利益になると考えていた。自由経済を維持することこそがアメリカの豊かさを体現するという価値観である。
ところが近年、貧富の差が激しくなっていることや、物価上昇に歯止めが利かなくなっていること、さらにはAI(人工知能)など最先端産業に従事する労働者ばかりが高賃金を得ていることなどから、従来の価値観を疑問視する国民が増えてきた。
予測不能なトランプの経済政策で意図せずドル高が進む可能性も IMAGESPACEーSIPA USAーREUTERSもともと共和党はビジネスに対して親和的な政党だったが、一部の共和党支持者は強烈なアメリカ第一主義(アメリカ・ファースト)に傾いており、外国企業や最先端産業、あるいは移民の流入を敵視するようになっている。
近年、トランプ氏が急速に支持を集めるようになった背景にはこうしたアメリカの内向き思考がある。アメリカ社会は確実に変わり始めており、従来の常識は通用しなくなりつつある。
両候補者の政策とそれが日本に与える影響について考察する場合、一連の変化について頭に入れておく必要があるだろう。では、トランプ、ハリス両氏の政策について具体的に検証してみよう。
関税と移民はブレないトランプ
トランプ氏は、支持者ごとにバラバラの主張を行うことがよくあり、各政策の整合性が取れないケースが多い。このため、実際に大統領に就任した際、どのような政策を繰り出してくるのか予想できない面がある。
だがトランプ氏の発言の中で、関税政策と移民政策の2つについてはほとんどブレがない。
トランプ氏は保護主義を強化する姿勢を鮮明にしており、中国からの輸入に対して関税を60%超にする考えを示している。トランプ氏はかねてから中国を敵視しており、対中関税はトランプ氏が大統領だった時代に実施した政策である。
だが、今回の大統領選では対中関税をさらに強化するだけでなく、日本など友好国に対しても10%の関税をかけると発言するなど、保護主義がより過激になっている。
ハリスの「機会の経済」で短期的には景気は足踏みするかもしれない CHIP SOMODEVILLA/GETTY MAGES仮に中国からの輸入に対して60%、日本など友好国からの輸入に対して10%の関税を課した場合、アメリカの輸入物価は確実に上昇する。そうなると、せっかく沈静化の兆しが見えてきたアメリカ経済が再びインフレに悩まされることになるかもしれない。
もっとも、中国からの輸入にさらに高関税をかければ、直接的な輸入が減少することは目に見えている。一方で、同国からの輸入については、関税を回避するため第三国を経由したものが増えるだけであり、実態は大きく変わらないとの見方もある。
実際、アメリカの隣国であるメキシコでは中国企業が相次いで現地法人を設立しており、迂回輸出の準備を進めている。
だが、友好国からの輸入にも関税をかけるとなると、60%の関税は回避できたとしても10%の関税は残ってしまうので、やはり物価には上昇圧力が加わる。
もう1つの目玉政策である移民政策についても、経済的に見れば確実にインフレ要因といえるだろう。アメリカの低賃金労働は、厳密には違法であるものの、既に社会に定着している移民によって成り立っている部分が大きい。
移民の強制退去を進めた場合、低賃金労働に従事する人が減るので、企業は相応の賃上げを余儀なくされる。そうなれば物価上昇にさらに拍車がかかる。
日経平均株価と円ドル相場の推移 REUTERS (2)当然のことながら、世界の物価動向はアメリカ経済の影響を強く受けるので、アメリカが再びインフレに転じれば、その流れは日本にも波及する可能性が高い。
ちなみに共和党の副大統領候補であるJ・D・バンス氏は、グローバル主義の象徴とされる巨大テクノロジー企業の解体を主張している。
過激な政策であり、実現性に疑問符が付くものの、トランプ政権の誕生によってアメリカのテクノロジー産業に逆風が吹けば、生産性の低下を通じて、やはりインフレが発生しやすくなる。
金融政策や為替は矛盾だらけ
つまりトランプ氏の目玉政策が実施された場合、貿易の停滞と人手不足、生産性低下が同時発生し、インフレ圧力が高まる可能性が高い。ここで問題となるのが金融政策である。
インフレが進んだ場合、セオリーどおりに考えれば、FRB(米連邦準備理事会)は物価を抑制するため金利の引き上げを実施せざるを得ない。トランプ氏はインフレを退治するとも主張しているので、本来なら利上げを支持するはずであり、そうなった場合にはドル高が進むことになる。
だが、トランプ氏は金融政策や為替について正反対の主張を行っている。
トランプ氏は以前からFRBのジェローム・パウエル議長を激しく罵るなどFRBを敵視しており、自身が大統領に就任した場合、FRBに対して利下げを求めるとしている。
為替政策については、自国通貨安を誘導しているとして日本に矛先を向けており、米製造業を守るためドル安にすると繰り返し主張してきた。
日本製鉄によるUSスチール買収は共和・民主双方のリーダーから阻まれる事態に JUSTIN MERRIMANーBLOOMBERG/GETTY IMAGES目玉政策を実施すればインフレが加速することになり、インフレを退治するためには利上げが必須だが、トランプ氏は利上げを否定している。そうなるとさらにインフレが加速し、トランプ氏の主張とは正反対に物価高が止まらなくなる可能性が高い。
一部の論者はトランプ氏がアメリカ国内での石油・天然ガスの採掘を強力に推進すると主張していることから、エネルギー価格の下落を通じてインフレを抑制できると主張している。
確かに石油や天然ガスの供給増はインフレ抑制効果をもたらすかもしれないが、アメリカのシェールガス、シェールオイルの採掘コストは高く、現在の原油価格水準では、各社が生産量を大幅に拡大するインセンティブは働きにくい。
従ってエネルギー供給の増大だけで現在のインフレを克服するのは困難と考えたほうがよい。日本国内では、アメリカの原油増産によってエネルギー価格が下がることを望む声も出ているが、過度な期待は禁物といえよう。
トランプ氏が大統領に就任した場合、程度の問題はともかくとして、関税と移民政策については実行に移す可能性が高く、インフレを防ぐためFRBは金利を上げるというシナリオが濃厚である。
トランプ氏は激しくFRBを批判するだろうが、アメリカの中央銀行制度は独立性が高く、大統領の意向であっても簡単には受け入れない。FRBが再び利上げに転じれば、円安が再度、進むことは十分に考えらえる。
大きな政治力を持つUAWは国外メーカーにも労働組合参画を促している JEFF KOWALSKYーBLOOMBERG/GETTY IMAGESもっとも、今の為替相場はアメリカ側要因ではなく、日本側の要因で動きやすくなっており、最終的にドル円相場がいくらになるのかは、日銀の金融政策次第だ。
一方、トランプ氏は減税も強く主張しているので、インフレと相まって株価は上昇しやすい。日本の株式市場はアメリカ市場との連動制が高いことに加え、今はある種の円安バブル相場になっている。
将来の反動は大きいだろうが、トランプ氏が勝った場合、バブル的相場がしばらく継続するだろう。
中間層の底上げ狙うハリス
一方でハリス氏が大統領に就任した場合、基本的にバイデン政権の路線を継承する可能性が高いので、トランプ氏と比較すると大きな変化は生じにくい。
ただ、候補者がジョー・バイデン大統領からハリス氏に代わり、ハリス氏はよりリベラル色が強い政治家であることから、バイデン氏よりも経済への影響は大きくなったといえるだろう。
ハリス氏は「機会の経済」を標榜しており、中間層の底上げを狙った政策を打ち出している。大きな柱としては、児童税額控除の拡大を中心とした中間層減税、食料品価格の抑制、住宅市場改革の3つである。
中間層と富裕層の格差を是正するため、ハリス氏は子供を持つ世帯や低所得層を対象に、最大6000ドルの税額控除を実施するとしている。また多くの庶民がインフレに苦しんでいることから、より積極的な物価対策を実施したい意向である。
DOUGLAS RISSING/ISTOCK (CAPITOL HILL), ILLUSTRATION BY CHAMPC/ISTOCK (GRAPH), ILLUSTRATION BY VLAD PLONSAK/ISTOCK (MAGNIFYING GLASS)具体的には法整備を通じて、不当に価格をつり上げる企業に対して罰則を与えるという厳しい内容が想定されている。
中間層の住宅購入が難しくなっていることを踏まえ、若い世代が住宅を容易に購入できるよう、安価な住宅を提供する事業者に優遇税制を適用するほか、初めて住宅を購入する世帯には頭金2万5000ドル(約380万円)を支給する。
仮にこれらの政策を実施した場合、相応の財政支出が必要となるばかりでなく、企業業績にも逆風となる可能性が高い。財政赤字の増大はインフレ要因だが、厳しい価格抑制策とバランスが取れた場合、インフレは抑制される一方、短期的な景気は足踏みするかもしれない。
もっとも、中長期的に見た場合、一連の政策は中間層の底上げにつながるので、必ずしも経済にとってマイナスとはいえない。短期的には株価下落や成長率の鈍化が生じるかもしれないが、中間層底上げの政策が効いてくれば、再び経済が成長軌道に乗るシナリオも十分にあり得るだろう。
金融政策についてはインフレ抑制が重視されるので、金利の引き上げが想定され、その場合にはドル高が生じやすくなる。反対に日本は円安が進みやすくなり、単純に考えれば輸出企業にとって朗報だが、そうは問屋が卸さないかもしれない。
現在、アメリカは景気が足踏みしそうな状況であり、こうした状況で、反企業的な政策が次々に実施された場合、景気が大幅に鈍化することも考えられる。そうなると、せっかく円安になっても、その効果は景気鈍化によって剝落してしまうだろう。
では、日本の産業界にとっては、トランプ氏とハリス氏のどちらが大統領になったほうがよいのだろうか。政策の非連続性や過激度という点ではトランプ氏に軍配が上がるので、ハリス氏のほうが安定的なのは確かである。
だが日本の産業界にとってハリス氏ならば好都合なのかというとそうはいかない。
なぜなら、冒頭にも説明したようにアメリカ社会は大きく変貌しつつあり、外国企業がアメリカに進出したり、アメリカ企業を買収することが好まれなくなっているからである。どちらが大統領になっても日本企業にとって逆風となる可能性が十分に考えられるのだ。
こうした社会の変化を象徴する出来事が、USスチールの買収をめぐる騒動と、日本メーカーにおける組合結成の動きである。
米社会の内向き傾向が加速
日本製鉄は23年12月、アメリカの伝統ある製鉄会社USスチールを買収すると発表した。当初はよくある日本企業による米企業の買収劇と見なされており、買収はスムーズに進むかと思われた。
だが突如、政治的な横やりが入ったことで状況が変わっている。トランプ氏が突然、USスチールの買収反対を表明したことに加え、現職のバイデン氏までもが反対の意思表示をするなど、政界が総出で買収を阻止する形になってしまったのだ。ハリス氏もバイデン氏の方針を引き継いでおり状況は変わっていない。
大統領選を前に、共和・民主両党のリーダーが外国企業(日本企業)による企業買収に反対を表明する図式だが、日本にとって不都合な話題であるせいか、「単なる選挙アピール」「日本企業が買収したほうがアメリカにとってもメリットがある」など、国内では問題を矮小化しようという議論ばかりが目につく。
だが現実はそのように生易しいものではないと考えたほうがよいだろう。
今回の反対表明が選挙を前にした政治的アピールであることは明らかであり、企業や投資家の理屈と政界の理屈にズレが生じることも特段珍しいことではない。だが、今回の一件はアメリカ社会の大きな潮流の変化を背景としており、この案件単体の問題にとどまるものではない。
これまでアメリカ社会は、日本やドイツ、中国など外国企業がアメリカ企業を買収したり、アメリカ市場で活動することについて寛容であり、多くの日本企業がアメリカ市場をフル活用して業績を拡大してきた。
だが前述のようにアメリカ社会は急速に内向きになっており、外国企業が自国に入ってくることに対して党派を問わず嫌悪感を感じる人が増えてきている。
ちなみに日本社会は以前から外国企業による国内企業の買収に対して否定的だったが、とうとうアメリカ人も日本人と同じ考えを持つようになったと解釈することもできる。これは戦後アメリカ社会の大きな変化であり、この流れは今後、強くなることがあっても弱くなることはないと予想される。
仮に今回の買収が成功しても、これからの時代は、いつでも簡単にアメリカ市場に進出したり、企業を買収したりすることはできなくなると考えたほうがよい。
新大統領がトランプ氏であれハリス氏であれ、「アメリカ市場は常に外国に開放されている」という従来の常識はそろそろ捨て去る必要がありそうだ。
変わりゆくアメリカを要説得
似たような動きは労働組合の分野でも顕著となっている。これまで組合活動とは無縁だった日本メーカー内で組合結成の動きが顕著となっているのだ。
日本をはじめとする国外メーカーのアメリカ現地法人の多くは、労働組合が組織されていない。アメリカの組合は企業別ではなく産業別となっており、日本とは比較にならない交渉力を持つ。
とりわけ全米自動車労働組合(UAW)の政治力はすさまじく、アメリカの大手自動車メーカー(いわゆるビッグ3)は、UAWの意向を受け、大規模な賃上げを余儀なくされている。
日本メーカーの収益力が高かった理由の1つは、組合がなく賃金を相対的に低く抑えることができていたからである。
ところがUAWは、組合非加盟の国外メーカー労働者に対して組合参画を促す活動を行っており、既に組合が結成された国外メーカーも出てきている。UAWが活動を活発化させる背景となっているのが、先ほどから何度も指摘しているアメリカ第一主義である。
UAWは長年、民主党の支持母体となってきた組織であり、バイデン政権は実は日本メーカーにおける組合結成を強く後押ししている。当然のことながらハリス氏もその政策を引き継ぐ可能性が高く、日本の産業界にとっては大きな逆風となるだろう。
組合活動を後押しする動きは、これまで労働者とは親和性の低かった共和党でも観察される。
アメリカ最大規模の労働組合「チームスターズ(全米トラック運転手組合)」のショーン・オブライエン会長は、24年7月に行われた共和党全国大会に出席。候補者指名を受けたトランプ氏に対して最大限の賛辞を送った。
同組合はトラック運転手を中心に130万人もの組合員を抱えており、選挙戦への影響は絶大だ。最終的に同組合は特定候補者を支持しない方針を表明したが、共和・民主どちらが政権を獲得しても、組合がアメリカの利益を最優先するよう政治に求めていく方向性は変わらない。
ちなみに連邦政府は、備品の調達や政府が財政支援するプロジェクトにおいてアメリカ製品の購入を優先する制度(バイ・アメリカン政策)の運用を強化しているが、この政策を強力に推進したのはバイデン政権である。
近年、活発化しているアメリカ第一主義は、民主・共和、あるいはリベラル・保守を問わない大きな流れと解釈すべきだろう。
今まで日本の産業界は、外資に対して寛容でオープンだったアメリカ市場を最大限活用することで業績を伸ばしてきた。だがアメリカ社会は、日本と同様、外国企業に対して強いアレルギー反応を示すようになっている。
もし日本の産業界が引き続きアメリカ市場で利益を上げようとするならば、日本政府はアメリカ政府に対して「日本企業が活動することはアメリカ国民にとって大きなメリットになる」と説得しなければならない。
日本にとっては「借り」となってしまうため、アメリカ側は、日本企業を受け入れる代わりに米軍駐留費の負担増などと組み合わせた、いわゆるパッケージ・ディールとして交渉してくる可能性もある。
トランプ氏、ハリス氏のどちらが大統領になっても、変わりゆくアメリカを説得するのは容易ではない。
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