原子力委員長として議会の公聴会で核兵器開発の技術面について証言するオッペンハイマー(1947年6月) AP/AFLO

<今も繰り返される科学者への市民の不信感と、科学への政治的な歪曲の歴史を、アカデミー作品賞映画『オッペンハイマー』の基になった伝記の著者がつづる>

ロバート・オッペンハイマーは1954年春、ニュージャージー州のプリンストン高等研究所でアルバート・アインシュタインと出くわした。オッペンハイマーは47年から所長を務めており、アインシュタインは33年にドイツを逃れて以来、研究所の教授職にあった。

「神はサイコロを振らない」と言ったアインシュタインだが、2人は良き友人だった。

オッペンハイマーはアインシュタインに、仕事を数週間休むことになると話した。安全保障に関する嫌疑をかけられ、おそらく国への忠誠心さえ疑われており、ワシントンで開かれる非公開の聴聞会で弁明を余儀なくされていた。

アインシュタインは「魔女狩りの餌食になる義務はない。祖国に尽くしてきたではないか。それが(アメリカの)仕打ちだというなら背を向けるべきだ」と主張した。オッペンハイマーは、背を向けることはできないと反論した。

「彼はアメリカを愛していた」と、オッペンハイマーの秘書で2人の会話を聞いていたバーナ・ホブソンは語っている。「その愛は、彼の科学への愛と同じくらい深かった」

自分のオフィスに戻ったアインシュタインは、オッペンハイマーを見てうなずきながら助手に言った。「頭が固すぎる」──愚か者だ、と。

アインシュタインは正しかった。オッペンハイマーは愚かにも、つるし上げの裁判に自ら飛び込み、セキュリティークリアランス(機密情報にアクセスできる資格)を剝奪され、公の場で屈辱を受けた。嫌疑の根拠は貧弱だったが、原子力委員会のセキュリティー審査委員会の3人の理事は2対1で、オッペンハイマーは忠実な市民ではあるが安全保障上のリスクがあると判断した。

45年に「原子爆弾の父」とたたえられ、その9年後に「赤狩り」の大渦の最も有名な犠牲者になったのだ。

オッペンハイマーは考えが甘かったのかもしれない。だが、告発と闘ったことは正しかった。国を代表する科学者の1人としての影響力をもって、核軍拡競争に反対を表明したことも正しかった。

聴聞会までの数年間、彼は「超」水素爆弾を製造するという国の決定を批判していた。驚くことに、広島の原爆は「事実上、敗北していた敵に使われた」とまで言った。さらに、原爆は「侵略者の兵器であり、奇襲と恐怖は核分裂性核種と同じように原爆に内在している」と警告した。

米政府の国家安全保障体制に関する有力な見解に率直な反対意見を述べたことは、強力な政敵を生んだ。だからこそ忠誠心を問われたのだ。

アインシュタインとオッペンハイマーの人生はプリンストンで交差した(1947年) UNIVERSAL HISTORY ARCHIVEーUNIVERSAL IMAGES GROUP/GETTY IMAGES

クリストファー・ノーラン監督がオッペンハイマーの複雑なレガシーを描いた素晴らしい映画は、私たちの存亡に関わる大量破壊兵器との関係だけでなく、知識人としての科学者が社会に必要であることについても、国を挙げた議論をするきっかけになってほしい。

トランプ、そしてパンデミック

悲しいことに、オッペンハイマーの人生の物語は、現在のアメリカの政治的窮状と関連がある。オッペンハイマーは、無知で反知性的で外国人嫌いの大衆扇動を特徴とする政治運動によって破滅に追いやられた。当時の魔女狩りは、ある種の偏執狂的なスタイルを持つ現代の政治家の直接の祖先だ。

例えば、オッペンハイマーを議会に召喚しようとしたジョセフ・マッカーシー上院議員の主任弁護士、ロイ・コーン。そう、ドナルド・トランプ前大統領に無作法で血迷った政治スタイルを教えた、あのロイ・コーンだ。パンデミックや気候変動をめぐる前大統領のファクトを無視した発言を思い出してほしい。得意げに科学をないがしろにする世界観だ。

アメリカで最も著名な科学者が偽りの嫌疑をかけられて屈辱を受けた事件は、全ての科学者にとって、知識人として政治に関わってはならないという警告になった。これがオッペンハイマーの本当の悲劇である。科学理論について率直に議論するという、現代社会の基本的な能力にまでダメージを与えたのだ。

あまりにも多くのアメリカ人がいまだに科学者に不信感を抱き、科学的探求、つまり、実験によってあらゆる理論を事実と照らし合わせて検証するという試行錯誤の本質を理解していない。最近のパンデミックの際の、公衆衛生の官僚や彼らに対する社会の反応もそうだった。

私たちは、AI(人工知能)が生活や働き方を一変させるという新たな技術革命の入り口に立っている。それにもかかわらず、AIの規制に関する賢明な政策決定に役立つような、革新の担い手と市民の対話は行われていない。こんにちの政治家は、サム・アルトマンのような技術革新者やキップ・ソーンやミチオ・カクのような理論物理学者の意見に、もっと耳を傾ける必要がある。

ノーラン監督はカイ・バードとマーティン・J・シャーウィンの共著『オッペンハイマー』(邦訳・ハヤカワ文庫)を基に脚本を執筆した ROBERT ALEXANDER/GETTY IMAGES

オッペンハイマーは核兵器についてそうした対話を模索していた。核兵器は戦場の武器ではなく、純粋な恐怖の武器であると軍上層部に警告しようとした。しかし、政治家は彼を黙らせることを選んだ。その結果、アメリカは冷戦時代を費用のかさむ危険な軍拡競争に費やした。

私たちは今、ウクライナ戦争で戦術核兵器を配備するというロシアのウラジーミル・プーチン大統領の見え透いた脅しに、核兵器と共に生きるという現実に決して甘んじてはいけないと思い知らされている。

オッペンハイマーは自分がロスアラモスで行ったことを後悔していなかった。好奇心旺盛な人類が周囲の物理的世界を発見しようとするのを止めることはできないと、彼は理解していた。私たちは科学の探求を止めることはできないし、原爆の発明を取り消すこともできない。

だがオッペンハイマーは常に、人類はこれらのテクノロジーをコントロールし、持続可能で人道的な文明に組み込むことを学べると信じていた。彼が正しいと願うばかりだ。

©2024 The New York Times Company

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