フィツォ首相が銃撃され、騒然とする現場。警備担当者はフィツォ氏を右下の車内に退避させた=スロバキア中部で2024年5月15日、ロイター

 東欧スロバキアのフィツォ首相(59)が15日、政府の会議のために訪れていた中部ハンドロバで銃撃され病院に搬送された。71歳の容疑者の男性が現場で拘束された。シュタイエシュトク内相は「政治的な動機」による銃撃だと指摘。フィツォ氏は腹部に弾丸が貫通するなど複数の傷を負い、一時重篤だったが、同日夜に容体は安定したという。

 ロイター通信などによると、フィツォ氏は会議があった建物から出てきたところを銃撃された。発砲は5発あり、腹部などに命中した。フィツォ氏はヘリコプターで病院に搬送され、手術を受けた。

病院に搬送されるスロバキアのフィツォ首相=スロバキア中部で2024年5月15日、ロイター

 米CNNによると、現場にはフィツォ氏に会おうとする市民で人だかりができており、フィツォ氏は柵越しで握手に応じていた。数発の銃声が響きフィツォ氏が倒れ込むと、警備スタッフがすかさず抱えて車の中に避難させた。直後に容疑者の男性が取り押さえられた。

 ロイターによると、現地メディアは容疑者の男性について、ショッピングセンターの元警備員で銃の免許を持っていたと報じている。詳しい動機は明らかになっていないが、シュタイエシュトク内相は「容疑者は(4月にあり、フィツォ氏に近い候補者が当選した)大統領選のすぐ後に決意した」と述べた。

スロバキアのフィツォ首相=2024年1月24日、ロイター

 フィツォ氏は1990年代、当時のチェコスロバキアで政治家としての経歴をスタートさせた。チェコとスロバキアが分離した後の99年、中道左派政党「スメル(道標)」を発足させ、2006年に総選挙で勝利し初めて首相に就任した。

 その後も12年と16年に首相の座に就いた。18年、政権に批判的なジャーナリストが政府と犯罪組織のつながりを追及した後に殺害されたことから批判が高まり、辞任。昨年秋、野党に転落していたスメルが総選挙で第1党となると、10月に4度目の就任を果たした。

 スロバキアは欧州連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)に加盟しているが、フィツォ氏は親露的な姿勢が目立ち、一時はウクライナへの支援を停止した。ただ今年1月にはウクライナのシュミハリ首相と2国間関係の強化で合意するなど、政策を転換させた。

 国内では汚職対策に取り組む特別検察を廃止したり、メディア統制を進めたりするなど、強権的な政権運営に反発も強い。欧米メディアはフィツォ氏を「ポピュリスト」と呼び、社会の分断を加速させたと指摘している。

 銃撃を受け、各国の首脳は回復を願う声を寄せた。ロシアのプーチン大統領は15日、通信アプリ「テレグラム」でスロバキアのチャプトバ大統領あてにお見舞いのメッセージを送り、「この残酷な犯罪を正当化することはできない」と事件を非難し「フィツォ氏は勇気と強い心を持った人だ。困難な状況を乗り切ることを願っている」と述べた。

 EUのフォンデアライエン欧州委員長は「私たちの最も価値ある共有財産である民主主義を侵害するものだ」とX(ツイッター)に投稿した。バイデン米大統領も「恐ろしい暴力だ」と非難した。【ベルリン五十嵐朋子】

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