日本被団協へのノーベル平和賞の授賞式から一夜明けた、オスロには若木記者がいます。若木さん。

【若木記者@オスロ】(中継)
私の後ろに見えますオスロ市庁舎で10日、ノーベル平和賞の授賞式が行われました。
非常に厳かな雰囲気の中、始めに、メダルと賞状が授与されると、賞状を受け取った広島の箕牧智之さんの目には涙が浮かんでいたのも印象的でした。

そして、今回の授賞式で歴史的な大役を果たしたのが日本語で自らの被爆体験を言いよどむことなく語った田中熙巳さんです。
原爆が投下された直後の惨状を生々しくリアルに語った証言を聞いて、涙する参列者の姿も見られ、授賞式の後には1分半にわたってスタンディングオベーションが続いていました。田中さんのスピーチで被爆の実相に初めて触れたという参列者が多く、きのこ雲の下で何が起きたのかを知る人はまだまだ少ないということを肌で感じました。

Q:戦後80年を無j変えようとする中で、被爆の実相がまだまだ伝わり切っていないという現実は、少し歯がゆい気持ちもしますが、一方で田中熙巳さんは「次世代の工夫に期待したい」とも話していましたね。

その通りです。
今回の授賞式でも代表委員3人のうち2人が車いすで移動する姿などをみていて、いずれ来る「被爆者なき時代」を前に、被爆地ヒロシマに課せられた責任、役割は重い、と強く感じました。

田中さんも、授賞式後にはメディアの取材に「大事なのはこれからで、次世代の人たちは自分で考えて行動してほしい」と答えていた通り、核兵器が通常の兵器とは違い、どのような被害をもたらすのか、改めて、学び、伝えていくことは次世代、そして、被爆地ヒロシマのメディアである私たちにも課せられた大きな責務だと再認識しました。

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