イスラエルとの1年以上に及ぶ戦闘が、先週、停止したばかりのレバノン。
FNNのカメラは2日、首都ベイルートの南にあるヒズボラが支配する街・ダヒエ地区に入りました。
日本のテレビが、停戦後、このエリアに入るのは初めてです。
この街には、イスラム教シーア派の住民が多く住み、ヒズボラが政府よりも強い権限を持っています。
いわばヒズボラの本拠地で、今回の戦闘では、街全体がイスラエル軍の標的となりました。
イスラエル軍は、住宅地や民間の建物の地下にヒズボラの拠点があるとして、この地区に集中的に空爆を行いました。
かなり被害が大きい場所は建物が倒壊し、地下が見えるほどイスラエル軍の激しい空爆を受けている状況が確認できます。
1年以上に及んだ戦闘で、街はその姿を一変させていました。
ダヒエ地区で10年前からキャンドル店を営んでるジャミール・セブリーニさん(63)。
停戦直前の11月25日に空爆の被害を受けました。
ダヒエ地区でキャンドル店を営む・ジャミール・セブリーニさん:
見ての通りです。お店はなくなってしまった。もう営業できません。
店の中は爆風でめちゃくちゃに。
経済的にも苦しい中、今後は別の場所に移って営業を続けることを決めました。
ダヒエ地区でキャンドル店を営む・ジャミール・セブリーニさん:
私たちはレバノン人だから慣れている。生きている限り、やり直す。
こうした中、我々はある場所の取材を特別に許されました。
鉄柵に囲まれ厳重な警備になっていて、周りにはナスララ師の顔が描かれた肖像画のようなものが壁に大きく貼られていました。
ダヒエ地区の中心部にあるヒズボラの本部があるエリア。
入り口にはヒズボラの鉢巻きが。
大人だけでなく子供たちも頭に巻いている姿が見られます。
さらに先に進むと、30年余りにわたりヒズボラを率いた最高指導者ナスララ師が殺害された現場がありました。
追悼のためにここに集まり、中には涙ぐむ人の姿も見られました。
イスラエルは、この場所にわずか数分間で80発以上の爆弾を投下。
地中近くまで貫通する能力がある「地下貫通弾バンカーバスター」も使われたとみられ、地下部分はむき出しになっていました。
地下に入ってみると、頑丈な建物ですが、へし曲がっていて、何かの骨組みのようなものも見え、まだ焦げ臭いにおいも残っている状況でした。
ナスララ師は地下約20メートルの部屋で、幹部と協議していた時に殺害されました。
ナスララ師の支持者は「彼を失った悲しみは、我々が死ぬまで残るだろう。その喪失を埋め合わせるものは何もない。彼のような人は決して現れないだろう」「彼は我々の指導者だ。我々の父である。我々の誇りである」と話しました。
深刻なダメージを受けたヒズボラですが、今後も抵抗を続けると表明。
停戦が維持されるのか不安定な状況が続いています。
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