おととしから相次いだ一連の強盗事件は「ルフィ強盗事件」と呼ばれた。事件に関与したとして起訴された永田陸人被告(23)は実行役の“リーダー”とされた男。法廷では「被害者に対する気持ちは一切なかった」と残忍な犯行の一部始終を淡々と語った一方、「被害者のために」と涙ながらに自ら「極刑」を求めた。相反する言葉。永田被告の心情はなぜ変わっていったのか。
「闇バイト参加のきっかけはギャンブルの借金、1年で800万円も…」
10月18日、東京地裁立川支部。初公判のこの日、永田被告は上下灰色のスウェット姿で入廷した。落ち着いた表情で席に座る。手元のノートには、手書きの文字がびっしりと埋まっていた。
問われた罪は、強盗致死や強盗殺人未遂などで、法定刑は死刑か無期懲役だ。裁判長から起訴内容について、「違うところはありますか」と問われると、「ありません」とはっきりとした口調で、すべての罪を認めた。
「競艇にはまっていて、借金がありました」
事件に加担するきっかけは、借金だった。最初の事件を起こしたのはおととし。その1年ほど前からのめり込んでいたのが、競艇だ。1年でおよそ800万円をつぎ込み、サラ金や闇金からの借金が膨らんだ。
「犯罪というラインが一般の人とは違うので、抵抗は少ない」
10代の時から犯罪に手を染めていたという。借金返済のため、躊躇なくSNSで募集されていた「闇バイト」に参加。指示役の「ルフィ」「キム」などと、秘匿性の高いメッセージアプリ「テレグラム」で連絡を取りながら、次々と事件へ加担していく。
永田被告は、強盗致死事件や強盗殺人未遂事件、強盗傷害事件など、6つの事件に関与したとして起訴された。そのうち、唯一、死者が出たのが、去年1月の東京都狛江市の事件だ。
女性(90)がバールなどで暴行され死亡した事件で、永田被告は別の実行役に、バールで暴行するよう指示。自らも女性に「息子や娘を殺すぞ」「家を燃やすぞ」と脅しながら殴る蹴るの暴行を加えていた。検察官から、女性を暴行した際のためらいを問われると、「何も思わなかった。金のありかを聞くためだった」と淡々と答えた。
別の実行役が女性を何度も暴行する姿をみても、止めなかったという。
「私が『やりすぎ』『やめろ』と言ったら、メンツがつぶれる」
“リーダー”としてのメンツを保つために、暴行を止めなかったという永田被告。別の実行役から「これ以上やると命が危ない」と言われても、「やらないなら俺がおまえをぶっ殺す」と怒鳴ったという。
暴行した女性が亡くなったことは、指示役の「キム」から聞いたという。
「人の道理を外れたクズ。自分の存在が終わったと思った」
しかし、亡くなった女性への謝罪の気持ちは「一切なかった」という。考えたのはあくまで「自分のこと」。「もう戻れない」と、この事件後も犯行を続けた。
「指示役「キム」への憧れ『ユーモアがあって頭がいい』」
「犯罪組織の胴元になるためには、金がいる。犯罪のことしか考えていなかった」
自分が指示役になるために強盗を続けていたという永田被告。法廷では、一連の事件でやりとりしていた指示役「キム」に対する憧れを語った。
「キムさんはユーモアがあって頭がいい。的確な指示を出す。こんなふうになりたいと憧れもありました」
一度も会ったことがない指示役の「キム」を、憧れを込めて「格上の犯罪者」と表現した。
永田被告の弁護側は、「指示役が被告人をわずかな報酬でつり、駒として利用した」と、指示役に従属的な立場だったと主張した。しかし、永田被告はそれに反し、こう証言した。
「私の意思でやりました。現場で他の実行役に指示したのは僕。僕が悪いのです」
指示役に逆らえない状況は、「一切なかった」と話した。
「『ごめんなさい』法廷で突然の涙、心情変化のワケ」
残忍な犯行の様子を淡々と語る永田被告の表情が一変する場面があった。遺族や被害者に対しての気持ちを問われた時だ。
「言葉にならないです。本当に『ごめんなさい』としか言えないです」
涙をこらえ、絞り出すような声だった。被害者のことをまったく考えない残忍な暴行の実態を淡々と話す永田被告と、涙ながらに謝罪する永田被告。同じ人物とは思えないほどの変化だった。
永田被告の心情は、なぜ変わったのか。
逮捕からおよそ半年後の去年8月、報道陣のカメラに向かって、威嚇するようなしぐさをとった永田被告。「長く刑務所にいるくらいなら死んだ方がマシ」と考え、「死刑」になるため、取調べでも悪態をついていたという。
その気持ちを一変させたのが、拘置所で読んだ被害者や遺族の供述調書だった。広島市の強盗殺人未遂事件の被害者の調書には、こう書かれていたという。
「『(被害者は)お酒や釣りやテニスが好きだった。でも今はもうできなくなっている。こんな平和を奪った犯人は許せない。平和な日常を奪われた悲しみは一生続く。悔しくて、悔しくて、たまらない』と書いてありました」
さらに、事件を担当した警察官や検察官、拘置所の職員との会話が、自ら犯した罪の重さと向き合うきっかけとなった。
「相談に真摯にのってくれた。心配してくれた。更生と改善が大事だと教えてくれた。ありがたかった。自分にできることはなんだろうと考えました」
被告人質問で裁判員から、「やり直せるのならどこをやり直したいですか」と問われると、声を震わせながら「初めて犯罪をした時です。人のことを傷つけるだけの人生は嫌でした」と吐露する場面もあった。
「『被害者のため』望んだ極刑、判決にも涙」
「被告人は実行役のリーダー格であり、果たした役割は重大。報酬目当ての犯行動機は身勝手で酌むべき点はない」
10月24日の論告で、検察側は無期懲役を求刑。証言台に立った被告は、こう訴えた。
「(罪を)極刑でないと償うことができない。極刑を強く望みます。私が責任を果たせるのは無期懲役ではなく死刑です。私の意思でやりました」
その声は震え、次第に大きくなっていく。語気を強め、目の前にいる裁判員達に涙ながらに求めた。
「この裁判は裁判員裁判です。被害者の処罰感情が反映されます。私に一切の情状酌量はいらないです。被害者、遺族のことのみ考えてください。極刑を下してください」
そして迎えた、11月7日の判決。
一礼して法廷に入った永田被告。いつもと変わらない上下スウェット姿で、落ち着いた様子だった。裁判長から証言台の前に立つように言われた被告は、ゆっくりと席を立った。
「主文、被告人を無期懲役の刑に処する」
判決は、永田被告が「致命的な暴行を自ら行い、主導した」とした上で、「実行役の中でも被告人の責任が際立って重い」と指摘、「指示役の指示に従っていただけでなく、自らの判断で他の実行役を指揮していた」とした。
永田被告は裁判長をじっと見ていた。判決内容が読み進められるなか、時折、ポケットから小さなタオルを取り出して、目にあてた。
裁判長は最後に、こう語りかけた。
「謝罪の気持ちがあるのであれば罪の深さを考え、償いは何ができるのかずっと考え続けてほしいと思います」
黙って聞いていた被告の目には、涙が浮かんでいた。
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