「被爆体験者」と呼ばれている人達が《被爆者認定》を求めている裁判で、ことし9月長崎地方裁判所は、国が定める「被爆地域」に含まれていない旧矢上村、旧古賀村、旧戸石村の旧3村で、原爆由来の「黒い雨」が降ったと認定。ここにいた人達を被爆者と認める判決を言い渡しました。しかし、降雨があったと認められなかった場所にいた人の中にも、「黒い雨」を体験し、記憶している人たちがいます。国が頑なに認めない、長崎の被爆地域の外で降った「黒い雨」の証言です。
原告・村田勝子さん(82):
「証言するつもりだったけど、入院していたから裁判に行けなかったんです」
「被爆体験者訴訟」原告・村田勝子さん(82)。当時は3歳。7人兄弟の末っ子。長崎市網場町、旧日見村にいました。旧日見村は、今年9月に言い渡された長崎地裁判決が「『黒い雨』が降った」と認定した3つの村の隣に位置します。爆心地からはおよそ8キロ。(「画像」から地図確認)
【被爆体験者】長崎に原爆が落とされた時、爆心地から半径12キロかつ国が定めた被爆地域の外にいた人たちのことをさす国の造語。
被爆地域が定められた1957年当時から、周辺の住民は「国の線引きはおかしい」「自分たちも原爆の閃光、爆風、大量の塵や灰を浴び鼻血、下痢、脱毛の症状が出た」と反発を続けており今に至る。2007年に「被爆体験者」が起こした裁判は、原告およそ550人に上ったが最高裁で敗訴。44人だけが再提訴で裁判を続けている。(2024年9月長崎地裁判決→原告・被告双方ともに控訴)
広島では2021年の広島高裁判決を機に、被爆地域を超えて「黒い雨」が降ったとされる地域にいた人を被爆者と認定する《新基準》が、2022年度から運用されている。長崎は「雨が降った客観的な証拠がない」などとして新基準の対象外。
「はっきり覚えている」
原告・村田勝子さん(82):
「覚えています、はっきりと。姉と兄と一緒に、おばさんの家におつかいに行った帰り道だったから。畑にいたおばさんに「カギかかってなかったけん、魚そのまま置いてきたよ」って声かけて。おばさんは「ありがとう。昼やけん、はよ帰れよ」って。
おつかいの帰り道、勝子さん達3兄弟の頭上を飛行機が飛んで行きました。3人はとっさに地べたに伏せたと言います。閃光と爆風が襲ったのはその後でした。
「突然爆風が吹いたんです。ピカ!どん!やった。大地がゆらゆら揺れました」
真っ赤に染まった空
「私は爆風が化け物だと思ったんです。『言うこときかんと化け物が出てくるぞ』と言われよったもんですから。だから怖くて泣きだして歩かないって駄々こねて。姉に防空壕までおんぶしてもらいました。姉はまだ小学1年生。小さな体で私をおんぶして」
防空壕の前まで来た兄弟3人。ふと長崎の方を振り返ると、空が異様なほど真っ赤に染まっていました。
「長崎の方を見たら、真っ赤に、夕焼けよりももっと赤かった。『夕焼けかな?』『夕焼けじゃないよね、昼やから』って話して。そしたら姉が『あれはなんやろなー』って言うんですよね。『昼なのに、お星さまじゃないし、お月様じゃないし』ってつぶやいてる」
「恐る恐る見上げると、きらきら光ってた。燃えたのが暗闇の中飛んでる、燃えながら飛んでたんです」
ーそして、空から「真っ黒な雨」が降ってきました。
3人ともずぶ濡れに
「ずーっと雨が降ってきて、3人ともびしょ濡れです。服全部びしょ濡れで、防空壕の中にいたおばちゃんから『あんたたちは雨の降りよるとにそこで何しよっとね。はよ入らんね』って手招きされて、はってなって、防空壕に入りました」
「姉のスミ子は白い服着てたもんですから、雨で背中にピタッと燃えかすがくっついいて、おばちゃんに『あんたスミちゃん、0点か」って。背中に飛んできた答案用紙が雨でくっついてたんです。おばちゃんが『あー違う違う。これは100点って書いてる』と言ったんです」
被爆体験者たちは、原爆の炸裂で飛び散った「放射性物質」が被爆地域を超えて雨や灰、微粒子として広範囲に降り注ぎ、さらに呼吸や飲食によって体内に入って、内部被ばくを引き起こした可能性を訴えています。
しかし国は、原爆で拡散した残留放射線が引き起こした「被ばく」の影響は、「無視できる程度に少なかった」としており、「被爆体験者」に放射線の影響はなかったとしています。
爆風で家はめちゃくちゃ
原告・村田勝子さん(82):
「雨がやんで家に帰ったら、家の雨戸が吹っ飛んで、障子も割れて、うちの波トタンが近所の家に突き刺さってたんです。母が一生懸命、「弁償せんといかんかなーって」悩んでいたのを覚えてる」
勝子さんは当時、耳と歯から出血。爆心地の方を向いていた右耳は今も聞こえません。一緒にいた姉と兄は小学生の時から腎臓が悪く、兄は60歳で死亡、姉は愛知県で入院中です。
原告・村田勝子さん(82):
「なんでそんなに覚えてるか?と言われたことがあるんですけど、いえ、覚えときたくて覚えているわけではない」
網場、旧日見村は爆心地からおよそ8キロ。広島では、遠くは爆心地から40キロ離れたエリアまで、「黒い雨」が降ったとされる地域にいた人が被爆者と認められています。
ことし9月9日に言い渡された長崎地裁判決では、1999年に長崎県・長崎市が行った「証言調査」などを元に、旧日見村と隣接する旧3村だけに「黒い雨」が降ったと認定しました。
原告・村田勝子さん(82):
「私は裁判で証言するつもりだったんです。黒い雨が降ったこと。3人とも濡れましたからね。嘘は言いません。何で同じ原爆にあってるのに区別しないといけないのかなと思います」
Q、自分は被爆してると思いますか?
「私?思いますよ。ただ燃える中にいなかっただけ」
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