県外で活躍する青森県民を紹介するターニングポイント。人生の転機となったそのとき、どのような思いや決意があったのか。第96回のストーリーは、板柳町出身のミュージシャン兼イベント運営 葛西儀律。
現在、福岡県でイベントの運営などの仕事をしながらミュージシャンとして活動している。
誰よりもポジティブな理由
誰よりもポジティブな考えを持つ葛西。それは生まれた時の出来事がきっかけだったという。
葛西儀律さん
「自分の生まれが早産で、お医者さんから“もしかしたらお子さんを諦めていただかないといけないかもしれない”と…。母親が“なんとか産みたい”と頑張ってくれて。ってことは、生きてるだけでラッキーじゃんと思う」
バスケットボールをやっていた中学時代。始めた理由はモテたいからだったが…。
葛西儀律さん
「全然モテなかったんすよ。本当にビックリするくらい」
モテたくてしょうがなかった高校時代、文化祭で本領を発揮する。
高校の文化祭で歌を披露
葛西儀律さん
「当時、高校の文化祭でのど自慢大会みたいなのがあって。3年生の時に、ある程度自分の歌唱力に関しては、人前で歌えるぐらいの歌唱力はあるかなと思っていたので、エントリーして歌を歌わせてもらった」
自分の歌で人が喜んでいるのを見て、今までのモテたいという気持ちは、人が笑顔になるのが嬉しいからなのだと気がついた。
次に選んだのが料理。将来お店を持つために、栄養学を学ぼうと専門学校へ。
しかしその後、ラジオパーソナリティのオーディションを受けたり、保険の営業をしたりと、紆余曲折な人生を送っていく。
ポジティブな自分に一番合っていたスポーツ事務の仕事
葛西儀律さん
「スポーツジムで働いている時に、松岡修造っぽいよねって。松岡修造はもちろん知っていたんですけど、明るいし熱血でポジティブ、ユーモアもあるし、俺じゃん!みたいな。コンセプトとか似てるなと正直思ったので、じゃあ、修造って名乗っちゃおうかなと」
事務で働きながら“青森の修造”を名乗っている頃、常連客だった中華料理店の社長にスカウトされる。
湧き上がるミュージシャンの夢
葛西儀律さん
「“今、そういうコンセプトのお店を作ったんだよね。麺屋 幡という店なんだけど、とにかく元気を売りにしてお客さんに元気を与えたいから、そこでパフォーマンスをやってくれないか”と言われました。俺、この社長とだったら一緒にやっていけるって直感で思って」
その店で働き始め、やがて店長も任されるようになった頃、ボーカルオーディションの募集を見つけチャレンジ。見事合格した。
アーティスト名は「青森の修造」。その時にできた曲が「ありがとう」だ。
葛西儀律さん
「本当嬉しかったですね。自分の歌を作ってもらえたっていうのが、本当に誇らしい」
そして今、人との出会いから福岡へ。イベント運営をしながらミュージシャンを続けている。それは家族の理解があるからこそ。
葛西儀律さん
「やっぱり人との出会いだったりいろんなものを通した中で、自分の中で直観というか、そういうものを大事にしています。彼女の存在には助けられていて、同じように覚悟を持ってくれたんだなと思えたので、絶対やってやろう、もっともっと大きくなってやろうと思ったんです」
これからも人に感謝しながら、福岡で自分の夢を追い続ける。
葛西儀律さん
「イベントをしたり、そういったことができる人を増やすことが、青森や今まで関わっていただいた人、全てに対しての恩返しになるかなと思っています」
青森テレビ「わっち!!」月~金曜夕方4時25分
「TurningPoint」2024年10月8日(火)放送回より
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