県外で活躍する青森県民を紹介するターニングポイント。人生の転機となったそのとき、どのような思いや決意があったのか。第95回のストーリーは、十和田市出身の居酒屋経営・馬渕賢太

大阪市北区の高級割烹などが立ち並ぶ街、北新地で旬の食材を使った料理を提供する店「ニジュウマル」を経営している。

起業を考えていた中学2年生

馬渕は子供の頃から目立ちたがり屋でユニークな子供だった。

馬渕賢太さん
「友達の結婚式も蝶ネクタイで行ったりして、初めて会う方に、芸人の方ですか?とよく言われたりしましたね。見た目も」

お笑い番組や芸人が好きだった中学時代。その頃考えていたのは、高校への進学ではなく、起業することだった。

馬渕賢太さん
「中学校2年生かな、進路で何か会社をやりたいと思っていて。とりあえず自分で本買ったんですよ、株式会社の作り方みたいな本を。今と全然違う割とややこしいスタイルで、当時の僕には全く理解できなくて」

調べたことで現実を知り、親や祖母にも説得され高校進学を選択。しかしそれは将来を見据えた進学先だった。

将来は社長に!調理科のある高校へ進学

馬渕賢太さん
「料理でお店を1店舗作ることができたら、そこの社長になれる。店を作るために(高校の)普通科に行くんじゃなくて、食物調理科行ったら卒業の時に調理師免許がもらえるっていうのがあったので」

卒業後の希望する就職先は、自分の中で陽気なイメージのイタリアンのお店だった。

馬渕賢太さん
「たまたま目についた求人票が、勤めたところなんですけど、会員制のホテル。そこで料理を勉強したらすごいやんみたいな…安易な考えでそこを受けに行きました」

見事に合格し就職。全国にあるホテルグループということもあり、最初の配属先は徳島県。しかし希望していた洋食の道ではなく、和食の道へ。

イタリアンを希望するも和食の道へ

馬渕賢太さん
「和食・中華・洋食の料理長の前でプレゼンする時間があって、僕の情熱が…とか白いお皿にトマトの赤色にのせて…とか、そういう恥ずかしい作文を書いたのに、洋食の料理長が食いついてくれて、その情熱どこの調理場でも発揮できるのか?と聞かれ、いけますと勢いで言ったら、和食に配属されました」

3年半、和食の料理人として働いた後、長野のお店に誘ってもらい働く予定だったが、その話は消えた。代わりに有馬温泉の旅館へ。先輩が一気に交代するのと同時に、副料理長に就任。4年半務めた。

その旅館の兄弟子がやっていた大阪のお店の人手が足りないということで、その店で働くことに。それが自分の店へと繋がっていく。

自分の店をオープン!名物メニュー「おとなナポリタン」

馬渕賢太さん
「(兄弟子の)大阪の店はカウンターメインの店だったんです。お客さんの顔を見ることができるし、誰かの人生の記念日に一緒に立ち会えるし、美味しいものを出したら喜んでくれるしっていう、その空間が幸せしかないと思っちゃって…」

コロナ禍で飲食店の閉店が続いていたのを逆手に取って独立。「ニジュウマル」を開店させた。ブラックペッパーがアクセントのメニュー「おとなナポリタン」は店の名物だ。

今後は大阪に来てから始めた裏千家茶道を生かしたものを考えている。

馬渕賢太さん
「これだけいろいろな方に支えられてるのはすごいハッピーですし、恵まれてるって思ってるんで二重丸。大阪でしっかり商売を作り上げて、青森の食材を利用するなどして青森にも還元していきたいなって思います」

「お客さんが喜んでくれるのが一番嬉しいかもしれないすね」という馬渕賢太さん

青森テレビ「わっち!!」月~金曜夕方4時25分
「TurningPoint」2024年10月1日(火)放送回より

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