今回のヒーローは、パリオリンピック™女子スケートボードの銀メダリスト・赤間凛音(りず)選手。15歳の高校生としてのあどけない素顔と世界を舞台に輝くトップアスリートとしての熱い思いとは。さらに、最大のピンチを救った恩人にもインタビュー。メダル獲得までの知られざる苦労とは…。

赤間選手の忙しい日々

オリンピックから帰国後、これまでと変わらず毎日練習にはげむ赤間選手。しかし、一躍時の人となったメダリストを周囲はほっときません。

あるときは母親の実家がある青森で“ねぶた祭り”に参加、またあるときは母校で始球式と練習以外でも大忙し。そんななか高校生らしい、楽しい出来事も。

赤間凛音選手:
「8月24日に藤井風さんのライブ行って、それがライブ自体初めてだったので、すごく楽しかったです。 (東京五輪 銅メダル)中山楓奈選手と行きました。


(Q お気に入りの曲は?)『♪燃えよ』は歌詞が響くところがい良いです。“燃えよ”という言葉をいろいろな言い方で言っている。スケボーする前とか大会間に聞くとモチベーションも上がってくる」

「他の人がやらない技をやる」

仙台市出身・東北高校1年生の赤間凛音選手。父親の影響で小学2年生から本格的にスケボーを始め才能を開花。

メキメキと実力を上げ、2021年の日本選手権では優勝。国内トップの選手として全国にその名を轟かせました。

赤間凛音選手:
「他の人がやらない技をやるのが自分の特徴。自分は身体と一緒に板も回転させる技とかが得意。逆に他の選手は板だけ、スケボーだけを回す回転技が得意」

板を空中で裏表に回転させる縦回しが主流(トレンド)となる中、赤間選手は板を水平に回転させる横回し系の技が持ち味。独自性を武器に世界と戦っていますが、やはり新技を習得するのは、一朝一夕ではいきません。

赤間凛音選手:
「スケボーは最初はミスる、失敗が多いスポーツ。大会に出せるぐらいまでになると成功の方が多くなったりするけど、新技だったらもうほぼ失敗。 なかなか決まらないとテンションも落ちちゃうんですけど、一緒にスケボーやっている友達がいれば励まし合いながら楽しくできる」

スケボーやってる時点でみんなカッコいい

日本を代表するスケーターとして海外の大会にも参戦。世界中にスケボー仲間が増えました。

赤間凛音選手:
「スケボーをやっている時点でみんなすごくカッコいい。 スケートボードの1番の魅力がスケボーをやっているだけみんなと友達になれる。ライバルだけど、その前に友達。自分ができない技を相手がやっていたら“すごい”と思うので、素直に褒めたりとか、“よかったね”とグータッチとかをよくする。1番のライバルは自分に負けないことだと思っているので、みんなは 友達という感覚です」

転倒の多い競技だけに、ついて回るのけが。赤間選手も靭帯断裂や骨折など度重なるケガに苦しめられました。

そんな時、赤間選手を支えてくれる人とは…

そんな彼女を支えてくれたのが、東京在住のトレーナー、林優希乃さん。リハビリから筋力トレーニングまで、フィジカル面でのサポートを行っています。

赤間凛音選手:
「けがの時は ほぼ毎日スマホのビデオ通話で見てもらいながらリハビリしたりとか、今でもほぼ毎日リモートトレーニングをして2週間に1回ぐらいは東京に行ってケアをしてもらう」

林トレーナーからみた赤間選手は…。

林希乃トレーナー:
「リハビリの時は1回も嫌だとか音を上げたことがないんですよ。 毎日泣いていましたけど(笑)泣くし、ちょっと嫌な顔はもちろんするんだけど、言われたことは“やらないといけないこと”と決めて淡々とずっとやる。我慢強いし、音を上げないし、“やることはやる”と決めてやるのがすごい」

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