宮城県石巻市の大川小学校で9月、紙灯ろうに明かりを灯す催しが開かれました。企画した一人、只野哲也さんは、津波から奇跡的に助かったものの多くの同級生、そして家族を亡くしました。ふるさとで挑戦を続ける只野さんの姿を追いました。

おかえりプロジェクト

9月7日、石巻市の震災遺構、大川小学校です。

卒業生の只野哲也さん(25)は、「Team大川未来を拓くネットワーク」の代表として震災の犠牲者を追悼するとともに、地元の若者がふるさとに帰ってくるきっかけにしてもらおうと「おかえりプロジェクト」を2022年から開催しています。

只野哲也さん:
「防災の先にある景色を知った私たちだからこそできるコミュニティづくりがあると私たちは確信している。そのための『おかえりプロジェクト』」

校舎向かいの空き地で始めたこと

今年の4月18日。

只野哲也さん:
「よろしくお願いします。いよいよですね。どきどきわくわく、ハラハラ」

そんな只野さんは、去年から校舎の向かい側にある空き地である取り組みを始めました。

只野哲也さん:
「でかいっすね」

それが活動拠点となる施設を作るというものです。只野さんはこの土地を10年間、市から借り、クラウドファンディングなどで集まった資金をもとに事務所となるコンテナのほかに、将来的には飲食ブースや物販スペースも作る予定です。

只野さんが施設を整備する理由

大川を訪れた人たちに、この施設でふるさとの温かさを感じてもらうためです。

只野哲也さん:
「お弁当とか持ち寄って、天気のいい日に空の下でこうやってご飯を食べるというのが、懐かしい感覚があった。それも自分にとっては大川だなと思うので感じ取ってもらう場になれば」

7日、おかえりプロジェクトの当日、利府町の少年野球チームが大川小を訪れました。

只野哲也さん:
「地面をえぐりながら2~3メートル登ったところで、てっちゃん(哲也さん)は津波にのまれてしまいました」

只野さんの苛烈な経験とは

あの日、避難が遅れ児童と教職員は50分間、校庭にとどまり、津波で84人が犠牲となった大川小学校。子どもたちが避難できなかった校舎の裏山では防災の大切さを伝える言葉に力がこもります。

只野哲也さん:
「50分間で津波が来るまでの間、どこに逃げるかを決断するのは人。いかに大切な友達とか仲間とか家族とか、自分の命を守るかっていうのを、常日頃じゃなくてもいい。ふとしたときに家族で話し合える時間をとってもらいたいな」

只野さんは、祖父と母、小学3年生だった妹の未捺さん(当時9)、そして多くの同級生を亡くしました。あの日を境にふるさとには悲しい記憶もありますが、この場所での出来事だけでなく校舎に詰まった思い出も伝えています。

只野哲也さん:
「大川小学校のミニトマトってなかなか赤くならないって有名だったんだけどなんでだと思う?」
小学生:
「太陽が当たらないから?」
只野哲也さん:
「答えは簡単で、てっちゃんが全部食べちゃうから。笑っていいよ?」

参加した小学生は…。

小学生:
「同じ小学生で亡くなった子がいて心が痛かったし悲しい気持ちになった」
「今を当たり前だと思わないで気を引き締めていきたい」

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