能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県輪島市の高校生が14日に宮古市を訪れ力強い太鼓の音を響かせました。
「輪島から元気を伝えたい」と被災地を太鼓でつないだ生徒たちを取材しました。

(輪島高校の生徒)
「わあ!びっくりした!」

14日、宮古市の景勝地・浄土ヶ浜を訪れたのは石川県立輪島高校和太鼓部のメンバーです。
宮古青年会議所が「みやこ秋まつり」のゲストとして生徒たちを招待しました。
本番前にウミネコとのふれあいや青の洞窟の澄んだ海の色楽しみました。

(稲木茉那さん)
「ウミネコかわいかった。地震があって、静岡とか岐阜とか岩手で演奏している。結構楽しいです」

笑顔を見せる生徒たちですが、高校のある輪島市は2024年の元日に発生した能登半島地震で大きな被害を受けました。

(川端勇胤さん)
「自宅は半壊だったんですけど、今住んでいます。学校の駐車場がでこぼこになっていたり、廊下が傾いていたり…。学校に行くまでの道がでこぼこしていて歩きにくい」

あの日、新年を迎えたばかりの能登半島をマグニチュード7.6の激しい揺れが襲いました。
13日時点の地震による犠牲者は376人にのぼっています。

輪島市では最大震度7を観測し、日本三大朝市に数えられる輪島朝市は大規模な火災により一帯が焼失しました。
高校の校舎も避難所となり、和太鼓部の活動も3月まで休止を余儀なくされました。その期間に遠方への避難や転校などで活動を続けられない生徒が増え、2023年12人いたメンバーが現在は5人となっています。

本番前、秋祭りのステージでは生徒たちの演奏の準備が行われていました。
その中の一人、山口太鼓の会の佐々木達哉副会長は今回の演奏にあたり、生徒たちに快く太鼓を貸し出しました。

(佐々木達哉さん)
「私たちも十何年前は被災者だった。何にもできない中でどうしようって時に太鼓を叩いてみんなに元気と勇気を与えて再スタートした。岩手の思い出に、みんなに見せてもらって、みんなで拍手して、がんばってもらいたい」

そして迎えた本番…
生徒たちが熱演する太鼓の音は東日本大震災の被災地に、そして詰め掛けた多くの聴衆に力強く響き渡りました。

(観客は)
「最高良かったです。ああいう元気を見れば、がんばらなきゃならないって思う」
「大したもんだね、力強くてね、涙が出る。頑張ってもらいたい、一生懸命」
(生徒は)
「岩手の人はすごくあたたかくて楽しかったです。(輪島の元気は届きましたか?)余裕で届いてますね。届いたと思います」

祭りのボルテージが最高潮となる夜の山車パレード。

太鼓を貸した山口太鼓の会のきらびやかな山車に輪島の生徒たちも乗り込みます。
生徒たちが飛び入り参加で太鼓を打ち鳴らし、宮古と輪島の太鼓の共演も実現しました。

(川端遼太朗さん)
「船で太鼓を叩いたのが一番楽しかった。『輪島は負けてないぞ』と伝えたかった」
(川端光太朗さん)
「同じ被災地として叩かせてもらえるのはうれしいことだと思う。これから輪島でがんばっていく力になった」

能登半島地震の被災地の復興はまだまだ道半ば。
生徒たちが情熱を注ぎ、多くの人に元気を届けようとする輪島の太鼓の音は、被災地をつなぐとともに、復興を目指す力強い決意の響きでした。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。