県外で活躍する青森県民を紹介するターニングポイント。人生の転機となったそのとき、どのような思いや決意があったのか。第92回のストーリーは、つがる市出身のピン芸人・テラシマニアック

現在、青森出身芸人のお笑いライブ「アオモリライブ」を始めとする様々なお笑いライブを中心に活動している。

テラシマニアックの幼少期

テラシマニアックは、同世代の子どもたちと好きなもののタイプが少し違っていた。

テラシマニアック
「みんな仮面ライダーとかウルトラマンとかクレヨンでヒーローを描いていたんですけど、僕だけ1970年代のマニアックな“白獅子仮面”っていう(自分の年代では)誰も知らないような時代劇ヒーローの絵を描いていた。先生の困った顔をはっきり覚えてますね」

その頃テレビもお笑いブームの時代。テレビが好きだったテラシマニアックはテレビがきっかけで芸人を目指す。

小学6年生で動いた人生

「“ボキャブラ天国”っていう番組のお笑いブームがあったんです。ネプチューンさんとか爆笑問題さんとか海砂利水魚さん、今のくりぃむしちゅーさんですけど、お笑いが面白い+カッコいいっていう初めての感覚が芽生えて。それで小学校6年生の時にいろいろと人生が動いた瞬間だったと思います」

中学生で柔道を始めたが、一方でお笑い芸人を目指し続けていた。そしてこの頃からアマチュアとしてお笑いライブに参加していた。

テラシマニアック
「すごい好きなお笑い雑誌があって、その本を監修していた構成作家の方に小学校6年生の時に手紙を書いたんですよ。すごい面白い雑誌でしたと感想をバッと書いた。1年後ぐらいに電話がかかってきて、その方のお笑いの講演会をやるということで。そこで、中学生がネタをやるというコーナーでひっそりとライブに出たりしていて。初舞台で怒涛のようにウケたんです」

その時にウケた沼にはまり、未だに止められないという芸人という職業。

高校卒業後、所属させてくれる事務所を探し、芸人人生をスタート。コンビを組んだり、オーディションを受けまくったり…芸人としての試練は続いていた。

ピン芸人で活動を始めていた頃、神社へのお参りが功を奏した。

神社へお参りした後の不思議な体験

テラシマニアック
「すごい不思議な経験をしまして。30歳になって、テレビに憧れてこの世界に入ったので何とかテレビに出たいなと思って、小野照崎神社(※)に行ってみようと。僕はタバコ吸ってたので、タバコをもう一生吸わないのでテレビの仕事をくださいって、願掛けに行った。行った1か月後に、某番組でお笑いマニア王決定戦という企画の話が舞い込んできたんですよ」
(※)小野照崎神社…東京都台東区にある芸能・学問・仕事の神様を祀る

芸能の神様のご利益を一時的にはいただいたが、まだまだ道半ば。

千葉チューセッツ 松戸正宏さん
「芸人さんのことも詳しい、誰からも愛される、人の悪口とか基本言わないんで、だから僕も10年以上つきあってます」

千葉チューセッツ・松戸正宏さん

テラシマニアックの野望

芸人マニアの部分だけでなく、お笑いの実力でテレビやイベントに呼ばれたいという野望は続く。

テラシマニアック
「やっぱりお笑いが好きすぎて、お笑いマニアでテラシマニアックって名乗ってるくらいなので、本当にお笑いが好きでこの世界入ったので、何が何でも世に出たいです。アオモリライブのメンバーで、青森のいろいろな場所で、街を盛り上げるお笑いイベントをやれたらいいなと思います」

「青森県でレギュラーをください!」というテラシマニアック

青森テレビ「わっち!!」月~金曜夕方4時25分
「TurningPoint」2024年9月10日(火)放送回より

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