障害のある作家が湧き上がる衝動のままに生み出す芸術作品「パラアート」に関心が高まっています。生き物たちを優しく色鮮やかに描く、若き知的障害の画家の魅力にせまります。
人気集める 障害者のアート
迷うことなく線を引く。鮮やかな色づかい。青いカメレオンの出来上がり。一番得意なのがキリン。絶滅危惧種のハシビロコウ。
木下晃希さん、兵庫県西宮市に住む24歳。動物と恐竜が大好きな画家だ。
母親 木下真理子さん
「本当にじっとできなかったので、じっとしていてもらうために紙と鉛筆を渡して。描いている時間が唯一じっとしていたので、いつの間にか絵になって」
2023年5月、動物写真家と晃希さんの2人による展覧会が京都で開かれた。
写真家・加藤直子さんがアフリカで撮影した動物写真をもとに、晃希さんが絵を描いた。色も構図も写真とはちょっと違う。
女性
「色使いが自分では選ばないような色。写真から忠実に描いているとは言え、そういう色では自分は塗らない、塗れないと思うような色」
受付に座る晃希さん。やはり、黙々と絵をかいている。
ーーどれが好き?
子ども
「あのシマウマの絵。シマウマとシマウマがキスしているみたいになってる」
写真家 加藤直子さん
「自分が本当におもしろいと思って撮ったこと、動物が何を考えているんだろうと思って撮ったことをストレートにわかってくださった。(アフリカの自然保護区で)車から降りられないという制約で写真を撮っているが、晃希さんは降りて地面に立っているなと」
パラアーティスト・木下晃希さん 成長の軌跡
晃希さんが毎日通う作業所。晃希さんには重度の知的障害と発達障害がある。作業所に通い始めて5年、一緒に働く仲間との関係も少しずつ出来てきた。晃希さんはこれまで、どんな人生を歩んできたのだろう。
木下さん一家の次男として生まれた晃希さん。2歳年上のお兄ちゃんとも仲良し。おとなしくて、手のかからない赤ちゃんだった。ところが…
木下真理子さん
「1歳を超えたぐらいからかな、ちょっと普通の子じゃないぞみたいな感じになってきて。遊び方が人と違う、ずっと感覚遊びをする。ずっと砂だけ触っている、ずっと水に石だけ投げている、葉っぱを見てケラケラ笑うとか。耳が聞こえてないのかと思うぐらい呼んでも振り向かない。小さいときは、『私、この子のこと好きかな?』と自問自答しながら。でも『母親だから、この子のこと好きだよね』と思いつつ」
そんな晃希さんと家族にとって大きな転機になったのは、「療育」。障害のある子どもの発達を支援する教室に通い始めたことだった。遊びの中に学びが取り入れられている。
晃希さんを担当した 中村志津子さん
「ターザンロープというかたちで天井からつるして、ここにまたいでのって揺れる。感覚の刺激であったり、順番を守る、友達と交代する」
初めて来たのは2歳のとき。お母さんは、今とずいぶん様子が違ったそうだ。
晃希さんを担当した 富井あゆみさん
「最初にお母さんが晃希くんを連れて来た時、ずっと携帯電話を触っていた。晃希くんを見ていなかった。晃希にはこういう障害があるからこういう子育てをしようとか、障害を晃希くんが持っていることを理解する、受け入れることが難しかったのかなと。やり方がわからなかったんだと思う。この子とどうやって関わったらいいんだろうと」
木下真理子さん
「私はすごくあきらめが早くて、どうせ無理という感じですぐあきらめてしまう。トイレトレーニングも、オムツなんか取れるわけないと思っていたら、一生懸命、先生がトイレに連れて行ってくれて、こうやってオシッコするんだよというのを教えてくださったら、トイレでできるようになった。『すごい』と私のほうが思った。晃希も育ててもらったけど、私も親として育ててもらった」
一人遊びが多く、人にもおもちゃにもなかなか興味を示さなかった晃希さん。それでも、療育のクラスが気に入ったようで、毎日、張り切って通うようになった。
母親の真理子さんにとって大きかったのは、同じ悩みをもつお母さんたちとの出会いだった。晃希さんの1年先輩の井上玲奈さん(24)。重度の知的障害がある。
母親同士も子ども同士も、たいへんな時期をともに過ごし、泣いたり笑ったりしながら成長した。
玲奈さんの母親 井上直恵さん
「ほかのお子さんと比べて落ち込むことはすごくあった。特に小さいときは」
木下真理子さん
「子育ては孤独。障害のある子の子育てはさらに孤独で、ひとりだったら泣きたくなるが、2人、3人いると、それが笑いに変えられる。先生方やお母さんたちと出会えてなかったら、どうなっていたか」
ある日のこと…
木下真理子さん
「3歳か4歳ぐらいかな。これが初めて描いた記念すべき絵。今も記念に置いている」
絵を描く時はものすごい集中力だった。いつでも絵が描けるように、静かにじっとしていられるように、どこへ行くにもノートとペンが必需品になった。
小学2年生から絵画教室に通い、6年生のときに描いたこうもりの絵で初めてコンクールで入賞。普通の紙はもったいないので、段ボールに大好きな恐竜や動物たちの絵を描き続けた。
そして、高校1年生のとき「キリンの親子」を描いた作品で大きな賞をもらった。
今は、週末に絵画教室で作品を制作している。お父さんと一緒にやってきた。動物の写真から描きたい生き物をピックアップ。いきなり描き始めた。下描きもせず、どんどん線を引いていく。先生は口出しせず、じっと見守るのみ。
先生と家族が色見本のカードをつくってくれた。この中から塗りたい色を選び、カードに書かれた番号の絵具を混ぜて色をつくる。
お父さんは晃希さんの助手。邪魔をしないように気を付けながら、絶妙のサポート。
ーー晃希さんの絵の一番の特徴は?
画家 森澤達夫さん
「細かいところに距離感がある。遠近法がある、この絵の中に。距離感を着実につかむ。小さな絵でも額縁に入れると顔が飛び出して見える。それが絶対にまねできない。盗んでやろうと思っているが、まねできない」
1時間半で描き上げた。
晃希さんの部屋は動物と恐竜の図鑑でいっぱいだ。ここには、恐竜たちが生き生きと暮らす世界が広がっている。
毎月必ず訪れるのが動物園だ。時間をかけてじっくり観察する。生き物を描くインスピレーションの源だ。
企業とのコラボや個展の開催も
晃希さんの作品が企業の目にとまった。アメリカのシューズブランド「KEEN」が、晃希さんの絵をデザインした商品を発売した。
商品を見に、さっそくお店にやってきた。色鮮やかで目を引くデザイン。晃希さんにはきちんとライセンス料が支払われる。
木下真理子さん
「最初はほんまかいなと思っていたけど、実際にこうやって店頭に並ぶと、ほんまやったんやなと思います。私たちだけではできることではないし、こういう取り組みを企業の方がしてくださるのはすごくありがたいし、素敵な取り組みだと思う」
晃希さんの初めての個展が開かれる。お気に入りの恐竜の本をお供に東京へ。個展の会場は百貨店のギャラリー。到着してすぐ、会場をぐるっと見てまわる。
晃希さんが描いた生き物たちの絵画が展示されている。
大丸松坂屋百貨店 澤田太郎 社長(当時)
「大丸松坂屋の澤田です。おめでとうございます」
木下晃希さん
「ありがとうございます。木下晃希です」
澤田太郎社長(当時)
「澤田太郎といいます」
木下晃希さん
「ありがとうございました」
マイペースなところは、社長に対しても同じだ。
この個展は、晃希さんの作品「くじらと仲間たち」が、障害者の芸術祭「アートパラ深川」で、この百貨店の賞に選ばれたことがきっかけで実現した。
東京に引っ越した知人たちも、会場に来てくれた。
知人女性
「小さいときから絵を描いていて、ずっとファンで。すごいですよね、ビッグな先生になって。こうくん寝てるけど。マイペースな先生、素敵です」
30点の作品は5日目で完売となった。こんなに早く売れてしまうのは、このギャラリーでも珍しいそうだ。
大丸松坂屋百貨店 アート担当 小口貴志さん
「うまく見せようとか、人にほめてもらおうとか、そういう邪心がない。才能がなせる技だと思いますが、好きなものを好きなように描いて、それが見る人の気持ちに深く刺さるというのは、なかなかこの仕事をしていても出会えない作品だと思う」
個展が大成功に終わっても淡々と絵を描き続ける。作品が売れるとか、評価されるとか、そんなことには関心がない。
この日、選んだのはお気に入りのミナミアフリカオットセイ。下描きせず、線を引く。お父さんと晃希さんの大切な時間。絵は晃希さんの言葉であり、コミュニケーションだ。
父親 木下賢二さん
「一緒にやっていたら楽しくてね、楽しませてもらっている。体だけ大人になって中身がこのままだったらいろいろ大変だと想像していたが、別に普通。晃希は晃希なりにちょっとずつ成長しているし、一緒にいて楽しいので」
家族に支えられて絵を描いてきた。これから先、どんな未来が待っているのだろう。
木下真理子さん
「描きたいときに描きたいものを描く、楽しく描くというスタイルで、それがたくさんの方に見てもらえるようになったらいいなと思う。自分の思い通りにならなかったことや言葉で伝えられないことで、うまくいかなかったこともあったと思う。そんな中でも、絵を描いているときは楽しく、いい顔をしていたので、そういう顔をずっとしていてほしい」
パラアーティスト・木下晃希。自由に楽しく、きょうも大好きな生き物たちを描き続ける。
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