(本記事は、沖縄県立コザ高校・空手部主将Aさんの自死問題を長期取材したドキュメンタリー番組「我が子を亡くすということ」を再構成したシリーズの第3回です。第1回記事からの全編はこちら)
子どもの自殺で“詳細な調査”はわずか4.6%
子どもの自殺に関する調査は、今も十分に行われていない実態がある。
文部科学省によると2022年度の子どもの自殺者数は411人。そのうち「詳細な調査」が行われたのは、わずか19人(4.6%)。
みかさんたちが「語る会」に参加した去年、Aさんが在籍していたコザ高校から再発防止に向けた取り組みは見えていなかった。みかさんは支援者たちに、大分県の事例を話し始めた。
▽生徒Aさんの母・みかさん
「(工藤剣太さんの死から)15年目になるんですけど、毎年命日は、命の日、健康祈願の日と決めて、学校長が集会をやってくれて」
大分県南西部の山あいに位置する大分県立竹田高校。ここに通っていた我が子を亡くした工藤夫妻は、今でも学校と交流を続ける。
▽剣太さんの父・工藤英士さん
「学校は恨んでいない全く、剣太が学校好きだったから。当事者(元顧問)ですよね。それとその当時の管理職の対応の仕方。私たちに全く寄り添ってもらえなかった」
当初は閉鎖的だった学校の対応
校舎から離れた剣道場という密室で熱中症になり、顧問から暴力まで受けていた剣太さん。しかし当時、死の詳細は現場の教員にも伏せられ、情報は管理職のみに集約されていた。
▽竹田高校・合澤哲郎 校長(取材当時)
「学校現場というのは情報の一本化、特に対メディアなどに関しては、教頭先生を窓口に、というのが常」
学校の「管理職」の立場をこう語った、竹田高校校長の合澤哲郎さんは、剣太さんが亡くなった当時、現場教員の立場で竹田高校に勤めていた人物。当時の学校には不信感が漂っていたと振り返る。
▽竹田高校・合澤哲郎 校長(取材当時)
「いろんな噂は入るが、どこまでが真実なのか、正しいのか誤った情報なのか確認することは難しい。不満を持つ、ちゃんと教えてくれという先生方も多かったですよね」
取材班は、剣太さんが亡くなって3年後(2012年)に竹田高校の校長に着任した
藤原崇能さんにも話を聞くことができた。
▽元竹田高校校長 藤原崇能さん
「みんなが不幸だと思いました。工藤さんも悲しみの上に不信感を持ち、生徒は事件のことが不安だし知りたい。だけど語ってくれないし」
「きちんとそこは子どもに言えるってことが重要で、伝えることが、先生たちが精神的にも気持ちよく勤務できる条件のひとつだと私は考えました」
藤原さんは校長として、ある提案をした。
2012年8月22日。まだ裁判が続くなかで、学校は剣太さんの命日を「健康・安全の日」と制定した。
尊い命が失われたことを「我が事」としてとらえるため、竹田高校は今でも毎年、剣太さんの命日に集会を開き、熱中症を想定した緊急対応訓練などを行う日としてる。
▽元竹田高校校長 藤原崇能さん
「無念にも亡くなったご本人の霊を慰め続けることは学校の責任だと思いました。健康・安全の日は、ひとつの意思表明の日。生徒の健康安全を守る、最優先だという姿勢を全校に向かって表明する」
その後の校長としてこの日を迎えてきた合澤さんも、自問自答を繰り返してきたと語る。
▽竹田高校・合澤哲郎 校長(取材当時)
「(当時)剣道場にいたら、剣太くんが様子がおかしいというのは絶対気づいたと思うんです。ただその時に、自分よりも剣道の経験があって、しかも興奮している顧問を制止して、これはおかしいと、救急車呼びましょうと言えたか。常に考えるんです。でも、それをそのままにしていたら、結局同じことになってしまう」
「行動を起こさなければ命は救えない」
生徒の命を守る。その安全対策が徹底される竹田高校。
▽剣太さんの母・工藤奈美さん
「今だったら剣太は死んでいないと、すごく感じています」
「子どもたちの尊い命を守るように、今周りが動いてくれているよ。あなたは17年生きて、命を落としてしまったけど、それは決して私たちは無駄にはしたくなかったし、無駄になっていないと信じているので、お父さんとお母さんが動ける間は、剣ちゃんもう少し一緒に頑張ろうね、って」
我が子を失った悲しみが消えることはない。しかし、「同じ悲劇を繰り返さない」。その強い思いは、着実に学校現場に浸透している。
シリーズ「我が子を亡くすということ」は完結まで毎週土曜更新。続編は9月21日(土)に公開します。第1回記事からの全編はこちら)
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