9月6日に一部が先行オープンする『グラングリーン大阪』。大阪だけでなく、関西全体の名所になるか、注目されています。なぜ“関西最後の一等地”が公園になったのか?“緑”は利益を生むのか?りそな総合研究所・荒木秀之主席研究員への取材などをもとに情報をまとめました。

都心に森や芝生が!緑豊かな「都市公園」

 『グラングリーン大阪』があるのは、うめきたエリアの中の「うめきた2期区域」と呼ばれる場所です。広さは約17万平方メートルで、元々は貨物ターミナル駅として利用されていました。隣には、現在グランフロント大阪などが建つ「うめきた先行開発区域」(約7万平方メートル)があります。

 2027年に全面開業予定の『グラングリーン大阪』。構想では、中央に緑(森や芝生)を配置し、それを挟む形で南北にビルが建つ予定です。今回先行オープンするのは、芝生エリアとホテル・商業施設(とその周辺)となっています。

なぜ一等地が公園に?「うめきた開発史」を振り返る

 『グラングリーン大阪』の目玉は、大胆に配置される“緑”。約4万5000平方メートルの都市公園です。なぜ“最後の一等地”が公園になったのか。歴史をさかのぼります。

 ちょうど150年前、明治維新直後の1874年に大阪駅が開業しました。1928年には「梅田貨物駅」が誕生(現在のうめきたエリア)。当時は貨物量が多く、戦後日本一の貨物駅となりました。そして、1973年には貨物量がピークに達しますが、次第にトラック輸送に貨物を奪われ、1987年の民営化(国鉄→JR)で梅田貨物駅の全廃と用地売却が決定。その後のバブル崩壊で、約15年間、開発がストップしてしまいます。



 開発が開始されたのは2004年ごろ。グランフロント大阪の開業が進められます。キーマンとなったのは関西経済同友会で、民間主導で整備が進んでいきました。そして、『グラングリーン大阪』の開発エリアについては、「ほんまもんの緑を作りましょう」と経済同友会が提言します。理由は3つです。

 ▼大阪には緑が少ない
 ▼グランフロント大阪の反省
 民間主導での開発は“経済合理性”を優先するため、広々とした緑やオープンスペースなどが作られにくい。
 ▼東京を反面教師に
 貨物ターミナル駅の広い跡地を再開発したのが東京・汐留エリア。建物1つ1つは建築として素晴らしいが、土地が高いため建物が“バラ売り”になり、エリア全体として(緑地開発を含め)一体感のある開発ができなかった。

 ただ、一筋縄ではいきませんでした。経済界からは、「経済効果を追求すべき」との声が上がります。2009年には、平松市長(当時)がサッカーW杯誘致のため、駅前のサッカースタジアム建設構想に賛同。緑地化計画は風前の灯火となります。

 風向きが変わったのは2011年。緑地化推進のきっかけとなった出来事が2つありました。

 ▼東日本大震災
 大阪駅周辺の防災拠点として“公園”が見直された。マンホールを利用した緊急のお手洗い“マンホールトイレ”の取り組みなど、『グラングリーン大阪』も防災拠点として考えられている。
 ▼橋下市長の誕生
 橋下市長(当時)が緑地化に賛同。ニューヨークに倣った“大阪セントラルパーク”という言葉も。

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