なぜ我が子は「生徒A」にならねばならなかったのか

「子どもが生まれたとき、親となったひとは万感の思いをこめて子どもに名前をつける。そうして名付けられ、大切に育てられてきた彼の名前を『生徒A』として記すことの痛ましさを思いながら、私たち委員はこの調査を続けてきた」

これは2024年3月、沖縄県に提出された「調査報告書」のなかの一文。

報告書には、自ら命を絶った沖縄県立コザ高校2年(当時)の男子生徒『A』さんの受けた苦しみが、克明に記されていた。

Aさんが部活動顧問から受けた心ない言葉

「やる気がない」
「部活やめろ」
「早く行け。気持ち悪いんだよ」

問題を調査した第三者委員会がまとめた報告書

小学1年生のときに始めた空手。大好きだった部活動。しかしそれは、当時の顧問によって、恐怖の時間に変わった。問題の再調査委員会は「顧問と部員という主従関係を超えて「支配的」だったと指摘した。

全国で後を絶たない、学校でのハラスメント。奪われる子どもの命。
事件に向き合った教員たちは、忸怩たる思いを抱えている。

小学校教諭
「社会の中で起こった出来事は、他人事なんですよね、完全に、私たちには関係ないよねって」

高校教諭
「私は今現場で声を出せないです、やっぱり怖くて」

安全であるはずの学校で子どもが命を落とす悲劇はなぜ後を絶たないのか。
なぜ我が子は、「生徒A」にならねばならなかったのか。連載で、背景を紐解いていく。

(本記事はRBCのドキュメンタリー番組「我が子を亡くすということ」を再構成したシリーズの第1回です)

生徒『A』さんは、生きていれば今年「はたち」

Aさんの母・みかさん(仮名)
「一緒に成人式も撮りたかったね」

Aさんは生きていれば今年「はたち」

2021年、沖縄市の県立コザ高校で空手部の主将を務めていたAさんは、全国大会への出場を控えていた。しかし、別れは突然やってきた。

Aさんは2021年1月、高校2年だった17歳のときに自ら命を絶った。

Aさんの遺影



当時の県教育長
「ご遺族ならびに関係者の皆様に心よりお詫び申し上げます。誠に申し訳ございませんでした」

2か月後、調査を行った沖縄県教育委員会は自殺の要因を「部活動、とりわけ“顧問との関係”によるストレスの可能性が高い」と公表した。

県教委・学校が開いた謝罪会見(2021年)

【会見で記者】
ー顧問が調査報告に対して、自分の言動で認めていることを教えてもらえますか?

学校の管理職や県教委は即答できず、記者の前で認識をすり合わせる。当時の学校教育課長が答えを絞り出す。

【当時の学校教育課長】
「自死の前日に主将の自覚のなさについて叱責したことは認めている」

【記者】
ーこのようなプレッシャーを与える指導をいつ頃から続けていたのか?

謝罪会見ではなかなか的確な答えが出ず

会見が始まって2時間が過ぎても、的確な答えは返ってこなかった。

このとき行われた調査の期間は、土日を除くとわずか14日間。

当時調査にあたった第三者委員自身が、教育委員会に指定された「調査期間」について「著しく短い期間であると言わざるを得ない」と指摘していた。


「熱心な先生」

強豪校だったコザ高校空手部に入部したAさん。「熱心な先生」という印象だった顧問の指導を受けていた。

Aさんが通っていた県立コザ高校空手部の道場



Aさんの死後「懲戒免職」となった元顧問は、LINEの履歴を調査委員に任意で提出していたが、AさんのLINEの履歴には残っていた、元顧問の“言葉が荒い”部分は、ことごとく削除していた。

遺族は県の「再調査」を求めるため、県議会にも足を運んだ。Aさんの母・みかさんは、競技に打ち込んできた息子の思いを訴えた。

県議会で Aさんの母・みかさん(仮名)
「(息子は)週末も夏休みも家族のイベント行事もお泊り会も全て我慢して、練習に向けてひたすら時間を費やしました。それは沖縄県代表として県外大会で活躍したいという願いがあったからです」
「17歳という短い生涯の半分は沖縄県代表として必死に頑張ってきたんです」

「息子が生きた証と尊厳を守ってほしい」

母は、元顧問との関係に悩む息子に寄り添ってきた。

Aさんの母・みかさん(仮名)
「亡くなる前日まで本当に、一緒に考えていこうねって、あなたが頑張っていることはみんな分かっているからね、って。朝起きても“きょうは眠れた?”っていう話をしてて、「うん、うん…」って返事はするんですけど」

Aさんの母・みかさん(仮名)


「…自分の中で耐えていたのかな」

「このことを口に出すことが本当に苦しくて、苦しくて。毎日泣いては、がんばろう、泣いては、がんばろうの繰り返しで」

「仕事が終わっても近くの墓苑に。そこにいないんだけど、毎日ただいまって言葉は出したいと思っていて」

Aさんの遺影に線香を供える両親


息子が亡くなって、遺族の時間は、止まっているようだった。

Aさんの父・さとしさん(仮名)
「本当に…辛かったですね」
「すみません、言葉にするっていうのがちょっと、なんか…」

そして2021年8月。

玉城デニー知事
「このような事案を二度と繰り返さないために総務部私学課において第三者調査委員会を設置することといたしました」

県は、Aさんの死について、教育委員会から独立した新たな第三者委員会の設置を決定し翌年の1月から「再調査」を非公開で始めたー
(第2回記事は9月7日(土)に公開します)

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