夏の甲子園で青森県勢としては12年ぶりに決勝進出を目指す青森山田。
21日の準決勝で京都国際と激突する。チームにとって春夏通じて初の4強入りを決めた滋賀学園戦。3回にチーム初安打を放ったのは代打の切り札、藤田一颯選手だった。
将来の夢は亡き父と同じ航空自衛官。度重なるけがを乗り越えてつかんだ甲子園の背番号。その姿を見守った母親。放送では紹介しきれなかった親子の物語があった―。
“代打の切り札”の全力プレー
青森山田 藤田一颯選手
「甲子園でヘッスラをする怖さはなかったです」
藤田選手は夏の大一番で迎えた打席を振り返った。
滋賀学園戦の3回、先発した下山投手の打席に代打で送られると、カウント1-2の4球目。フォークをひっかけた。打球は高く弾んで二塁手の前へ。走った。そして一塁に飛び込んだ。ベース上で何度も左拳を握った。自身にとって青森県大会を含めて初のヒットは得点にこそつながらなかったが、「代打の切り札」の面目躍如のヒットだった。
アルプススタンドで見守った母・千恵さんは、そんな息子の姿をはらはらと見つめていた。
青森山田 藤田一颯選手
「ヘッドスライディングしなくていいような打球だったけれども、ガッツを見せたいという想いが伝わって『ジーン』と来ました。ただ、手術したことも頭によぎったので…またヘッスラしたかと」
藤田選手は1年生の秋の練習試合でヘッドスライディングをした際に右肩を故障した。これまでも何度もけがをしていた箇所だった。医師からは手術を勧められた。決断は早かった。
「3年生になった時に全力でプレーできるように―」
全ては“この夏”のためだった。
リハビリ・雑用… “チームの元気印”になるまで
母親の心配をよそに、藤田選手はヘッドスライディングで奪った初安打についてひょうひょうと語る。
青森山田 藤田一颯選手
「スライディングよりヘッスラの方がガッツあるし、みんなも盛り上がる」
“チームの元気印”。この明るさを口にするようになるまでには、つらいリハビリの期間もあった。
2年の春まで雑用や裏方に回っていた時期のことを、千恵さんはきのうのことのように思い浮かべた。
藤田選手の母・千恵さん
「こんなことをやるために青森山田に来たわけではないという思いも本人にはあったと思います。『野球を辞めたい』『諦めたい』と言ってくることもありました」
それでも、千恵さんは寮生活を送る藤田選手の嘆きに同情することなく、背中を押し続けた。
息子を支える母
藤田選手の母・千恵さん
「『絶対に、これから理不尽なことなんて社会にもあるからそれを早いうちから経験できるとおもってとにかく頑張れ』と話しましたね。一生懸命取り組んでいるところを監督やコーチへ自分なりにアピールしろと。腐ったり、なんだよって態度をとるとそこで終了だよとすごく言い聞かせていました」
藤田選手が野球を続けられたのは母親の存在があったからこそ。だから、新チームになって初めて背番号をもらったときは真っ先に報告した。
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