2018年に閉場した築地市場(東京都中央区)の跡地から、江戸時代の庭園「浴恩園(よくおんえん)」のものとみられる石積みなどの遺構が、東京都による発掘調査で見つかった。都は調査を続けているが、すでに跡地の再開発事業予定者がスタジアム整備などを計画。市民団体から「再開発を見直し、『天下の名園』とうたわれた庭園を復元してほしい」という声が出ている。(原田遼、三宅千智)

◆老中松平定信邸の庭「浴恩園」の石積みか

浴恩園を描いた絵図(国会デジタルコレクションより)

 浴恩園は寛政の改革(1787~93年)を行った老中松平定信が下屋敷の庭園として築き、老中引退後の居所とした。定信の館や築山、植栽などに加え、東京湾の海水を引き入れた2つの池があった。定信の死去直前に文政の大火(1829年)に遭ったとされる。

庭園「浴恩園」の遺構が見つかった築地市場跡地(中央)。右は浜離宮恩賜庭園=東京都中央区で、本社ヘリ「あさづる」から(須藤英治撮影)

 1923年の関東大震災で日本橋魚河岸が損壊したため、1935年に築地市場が開場。この時に庭園の跡がいったん更地にされたとみられる。都の文化財「旧跡」にも指定されている。

◆三井、読売など10社でスタジアムやホテル整備へ

 浴恩園の遺構は、2021年に始まった再開発に向けた試掘・予備調査で見つかった。池の護岸とみられる石積みや、池を埋め立てたとみられる跡などが確認されており、本調査は2025年度以降に始める予定だ。ただ、今年4月に再開発事業予定者が決定。計画では、スタジアムのほか、ホテルや会議場などが整備される。浴恩園については触れられていない。

築地市場跡地から見つかった、浴恩園の池の護岸とみられる石積み(都埋蔵文化財センター調査報告書より)

 こうした中、市民団体「文化財保存全国協議会」(奈良市)は7月10日、庭園の再生を求める要望書を都や文化庁に提出。同31日には全国協議会と「築地市場跡地再開発『浴恩園』を再生させる会」の2団体で都庁で記者会見した。「再生させる会」の丸谷博男共同代表は「江戸から明治、現代に至るまで多くの物語がある。跡地が再開発に利用されることは承服できない」と強調した。  都の担当者は取材に「再開発計画を進める中で、本調査の結果を踏まえて浴恩園の位置付けを検討する」と話した。

 築地市場跡地の再開発計画 東京都が4月、三井不動産、読売新聞グループ本社など10社の企業グループを事業予定者に決定。19.4ヘクタールの跡地に野球やサッカー、コンサートなどに利用できる5万人収容の屋根付きスタジアムを整備するほか、食のエリア、数万人規模の学会・イベントに対応できる会議施設などを設ける。大半の施設は2032年度に完成し、全体の完了は2038年度の見込み。総事業費は9000億円。



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