色の見え方が、正常とされる大多数の人と異なる「色覚異常」。
盛岡市に住む色覚異常の小学生が、生きにくさを感じながらも同じ病のデザイナーと出会い、未来に希望を見出す姿を取材しました。

クラスメートといっしょに真剣な表情で授業に取り組む大槻一翔くん、8歳。
盛岡市の中野小学校に通う小学2年生です。
一見みんなと変わらない小学生ですが、一翔くんはある病気を抱えています。
「先天色覚異常」網膜にある錐体という細胞の異常が原因で起こる病で、個人差はありますが色の見え方が、正常とされる大多数の人と異なり、色の識別が難しいのが特徴です。

日本眼科医会によりますと、現在、効果的な治療法はありません。

一翔くんの場合は特に緑と赤の識別が難しく、黒板の赤いチョークが見えづらいといいます。

一翔くんの母親の美和子さんです。
先天色覚異常が遺伝性の疾患であることから、息子の病気を知ったときは自分を責めました。

(大槻美和子さん)
「ショックでしたね。今までずっと一緒に見てきた世界が自分とは違ってたんだな。罪悪感というか申し訳なさがありました」

美和子さんは病気を知ってから、一翔くんが見ている世界を理解しようと努力して います。

(大槻美和子さん)
「緑が黒でこれが黄色で、青が紫」

自分と異なる見え方をしていても否定はしません。(大槻美和子さん)
「色覚異常があっても、前向きに人生を過ごしてほしい」

そんな一翔くんに寄り添い、サポートする一人、中野小学校の特別支援学級を受け持つ講師の藤村真樹さんです。

(藤村真樹さん)
「廊下ですれ違うとき、朝と表情が違うなと思った。『なにかあった?』と聞いたら、色覚異常の話を聞いた」

実は藤村さんも色覚異常を抱えています。
一翔くんと同じ小学生のときに病気が発覚しました。

(藤村真樹さん)
「図工の絵具が何色も並べられたとき、『これの違いって何なんだろう?」とは当時よく思っていた。自分はまわりと見え方が違うのかとなったときすごくショックだった」

自身の体験と重ね合わせながら、一翔くんの学校生活を見守っています。

(藤村真樹さん)
「『あの子は色が見えづらいから、こういう支援が必要だよね』というのを学校全体で把握して、先生全員が進めていくのがすごくいい」

この日、一翔くんと母親の美和子さんは、盛岡市内である人に会いました。
矢巾町を拠点に活動するグラフィックデザイナーの松前哲さん。

色覚異常を抱えるデザイナーです。
色覚異常の場合、パイロットなど特定の職業に就くことができません。

またデザイナーも色の判別が難しい色覚異常の人が務めるには難しいとされる職業の一つです。
松前さんは色覚異常のハンデを乗り越えて、イベントのポスターや菓子パッケージのデザインなどで活躍しています。

(松前哲さん)
「少し見えにくいなって感じるものがあって、そういうものを無くす、減らしていくには実際自分が作り手になるのが一番早いなと思った」

一翔くんも将来就きたい職業があります。
それは…

(大槻一翔さん)
「警察官!だけど、色覚異常で眼鏡があってもなれないかも」

全国の警察官の採用は過去には色覚が正常であることが要件でしたが、2011年にすべての都道府県で制限が撤廃されました。
それでも、色覚異常が業務に支障が出るほど異なる見え方と判断されると警察官になれない場合もあり、一翔くんにとってのハードルは決して低くはありません。
松前さんは警察官を目指す一翔くんにエールを送りました。

(松前哲さん)
「それをやってみようと思ってやってみて、努力してチャレンジすることは悪くない。チャレンジしてみてほしいし、それが無駄にならない社会にどんどんなっていけば」

色の判別が難しいというハンデを乗り越えてデザイナーとして活躍する松前さんの言葉で、一翔くんの気持ちにも変化が…。

(一翔さん)
「色覚異常の松前さんが今デザイナーになっていて、だから(警察官に)なれるのかなと思った。不安の大きさは変わりました。反対に小さくなりました」

色の見え方が正常とされる私たちとは違う世界が見えている一翔くん。

自らが抱えるハンデと向き合いながら、将来の夢に向かって歩み始めました。

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