県外で活躍する青森県民を紹介するターニングポイント。人生の転機となったそのとき、どのような思いや決意があったのでしょうか。今回のストーリーは、藤崎町出身、元NBAダンサー・小笠原礼子さん。

アメリカにあるバスケットボールのトップリーグNBA。
試合会場を盛り上げるため、ダンスなどでパフォーマンスをするのが、NBAのダンサー。小笠原さんは、そんなNBAダンサーとして活躍。現在はダンサーの育成などで幅広く活躍している。

自己主張が強すぎて注意された中学時代

幼い頃から人を楽しませるのが好きだった小笠原さん。ずっと食べていたふじりんごは、アメリカでも有名だった。

小笠原礼子さん
「アメリカでふじりんごあったんですよ。Fuji Apple(フジアップル)ってすごい有名で。チームメイトとかにも『フジアップル知ってる?』って聞いたら『大好きフジアップル!』って言われて」

中学時代は吹奏楽部でパーカッションをやっていた。しかし、自己主張が強すぎて注意されることも。その頃から自分を何かで表現したいという気持ちが芽生えていた。そんなとき、高校のパンフレットで見つけたチアリーディング部に出会う。

チアリーディングとの出会い

小笠原礼子さん
「高校を選ぶときに、たまたま弘前中央高校のパンフレットを見て、同じ藤崎町出身の2歳か3歳くらい上の先輩がチアのユニフォームを着てる写真を見つけて、もうそれで(入学を)決めましたね」

ここでチアリーディングを始めたが、当時は情報が少なく、メンバー同士で悪戦苦闘しながら練習する日々。

小笠原礼子さん
「一緒に何かをやり遂げるということがすごく楽しいんだって気づいたんですね。
1人じゃできないことをみんなでやって、すごく大きなものができるっていうのは魅力的で、しばらくハマってました」

高校、大学とチアリーディングを続け、さらに追求するため上京。

働きながら、社会人のチアリーディングチーム「DEVILS」で活動。
その後、ダンスに特化したチアダンスで別のチームへ。

小笠原礼子さん
「ダンスだけっていうのもちょっと違うんですよね、同じチアに見えるんですけれども。そこからまたダンスを習い始めてオーディションを受けてサンロッカーズ渋谷(Bリーグ)のサンロッカーガールズに合格しました。
ずっと競技としてチアをやっていたので、そういうダンスって初めてやったので学びでしたね、とにかく」

自分の直感と仲間たちの後押しもあり、次第に本場で踊りたいという熱意が生まれ、NBAダンサーのオーディションに挑戦する。

コロナ禍で始まった夢への挑戦 初の日本人メンバーに

小笠原礼子さん
「デトロイト・ピストンズのダンサーのオーディションがオンラインであることをSNSで見つけた」

そして、オンラインオーディションでファイナリストに選ばれたが、なぜか結果発表の寸前でオーディションのやり直しを告げられた。

小笠原礼子さん
「またスタジオを借りて、パソコンを開いてZoomつないで『最終オーディションです。踊ってください』って言われた。その時、10数人に絞られていたので、このメンバーで最後に踊った後に、『ありがとうございます。これが今年のメンバーです!』と言われた」

「デトロイト・ピストンズ」で初の日本人メンバーとして渡米したが、コロナ禍だったこともあり、あまり活動ができずシーズンを終えてしまう。

しかし、再び現地でオーディションに挑み、NBA「ユタ・ジャズ」に最年長で合格。オールスターゲームにも出演。シーズンを終え、2023年に帰国した。

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