かつて「総会屋」という裏社会の人々がいた。毎年、株主総会の直前になると「質問状」を送りつけて、裏側でカネを要求した。昭和からバブル期を挟んで平成にかけて、たったひとりの「総会屋」が、「第一勧業銀行」から総額「460億円」という巨額のカネを引き出し、それを元手に野村証券など4大証券の株式を大量に購入。大株主となって「野村証券」や「第一勧銀」の歴代トップらを支配していた戦後最大の総会屋事件を振り返る。
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東京地検特捜部の捜査は前述の通り、1997年3月6日の野村証券の“自白会見”を契機に、急展開を見せる。特捜部は1997年5月14日、まず野村証券の社長の右腕とされたキーマンの元常務ら3人を商法違反などで逮捕した。その結果、元常務らの供述により、同社から総会屋への利益提供が、実は株取引だけではなく、ある「非常手段」を使っていたことが判明する。当時の関係者の証言をもとに捜査の舞台裏を描く。
ついに初の逮捕者
“証券業界のガリバー”野村証券への家宅捜索から約2か月、ついに逮捕者が出た。
逮捕されたのは野村証券の元常務のFとⅯ、それに総務部元理事の3人だ。元常務らは酒巻社長の指示で、「総会屋」小池隆一の実弟の口座に利益を付け替えていた。その方法は、証券会社が「お任せ」で銘柄選択から決済までを行う「一任勘定取引」だった。
証券会社は、客の株式を売買をするだけでなく、自らの資金で「自己勘定取引」を運用している。元常務らはこの「自己勘定取引」で出した利益を、小池隆一の実弟口座に「付け替える」ことで、あたかも実弟の口座が取引したかのように装っていた。いずれも商法、証券取引法で禁止されている行為だ。
元常務のMとFは年功序列にこだわらない「実力主義」の野村社内で「高卒組のエース」と目されていた。株式取引のプロだったM元常務は親分肌で、残業が深夜に及んだときなど、部下の仕事を率先して手伝うなど人望も厚く、小池隆一の実弟名義の「小甚ビルディング」の「一任勘定取引」を統括していた。
取り調べは特捜部の谷川恒太(32期)だった。M元常務は株式取引のエキスパートでもあり、総会屋事件がなければ、副社長にはなっていたと語る関係者もいた。(Mはのちに懲役8か月、執行猶予3年の有罪確定)
もう一人のF元常務は、酒巻が上野支店長時代の部下で総務畑一筋、緻密な仕事ぶりで知られた。「小池隆一の窓口役」を前任者から引き継いでいた。F元常務の取り調べは稲川龍也(35期)が担当、稲川は総会屋事件の2年前、オウム真理教事件の捜査で教団幹部から自白を引き出すなど、取り調べには定評があった。(Fはのちに懲役1年、執行猶予3年の有罪確定)
酒巻の社長時代に常務に昇格した2人は「小池を怒らせないよう」会社のために尽力した面もあるが、結果的に刑事責任を問われることになった。筆者は逮捕された2人の元常務の裁判をほぼ毎回傍聴していたが、法廷での印象は、抜群に仕事ができる言動、雰囲気があり、たたき上げの人間味が印象に残っている。
当時の弁護人は振り返る。
「FさんもMさんも裁判で争うことは望んでいなかった。それは共犯事件という性質上、否認してもなかなか厳しいことと、そもそもサラリーマンとしてやったことなので、正直にすべて話すことが最良だと考えた。弁護団としては最初から執行猶予を勝ち取ることを最優先した。
そこで、弁護側の情状証人を誰にするかいろいろ悩んだ末、野村証券でMOF担や人事部門を経験し、当時取締役だった古賀さん(のちに社長)に法廷で証言してもらうことをお願いした。組織を知り尽くしている古賀さんは、2人の情状酌量を訴えてもらうには、最適な選択だったと思っている。先日、ニュースで古賀さんがNHKの経営委員長に就任されたと聞いて懐かしく思い出した」
そして逮捕された3人のうちのもう一人が実はキーマンの総務部元理事だった。取り調べを担当したのは、黒川弘務(35期)だった。黒川は野村証券から小池隆一に「現金提供」が行われていたという衝撃的な供述を、総務部元理事から引き出したのだ。これについては後述する。
総務部元理事は「現金授受」の現場には立ち会っていたが、小池に対する利益提供を決定する立場にはなく、主導的な役割ではなかったことなどから処分保留で釈放され、起訴は見送られた。
ストーリーの始まりはこうだ。3人の野村幹部の逮捕からしばらく経ったある日、主任検事の井内から、東京拘置所で野村幹部や小池の取り調べにあたっていた黒川、稲川、谷川、八木ら「東京拘置所組」の検事に次のような連絡が入った。
「野村証券が現金3億2,000万円を小池に渡していたという話がある。現金は絵画取引で捻出された裏金の中から出ているようだ。裏金の依頼はF元常務が美術商に持ちかけたようだ。確認してほしい」
この情報は家宅捜索で押収した野村証券の「絵画取引リスト」のブツ読みを続けていた粂原から井内にもたらされたものだ。粂原は美術商から野村が購入した絵画の中に、どこにも飾らず倉庫に保管している絵画があったことに注目し、裏金の捻出に使われていたことを突き止めたのだ。
この情報を受けて、黒川が総務部元理事を追及したところ、「総会屋」小池隆一に現金「3億2,000万円」を提供していたことを供述、さらにこれが裏金から捻出され、「酒巻社長も了承していたこと」を認めたのであった。
これにより、野村証券は社長が国会答弁で述べたような「個人ぐるみ」ではなく、「会社ぐるみ」で総会屋に利益供与していた疑いが強まり、次の焦点は経営トップの関与に絞られていく。
特捜部は5月14日のF元常務とM元常務、総務部元理事の逮捕に続いて、15日には事件の主役である「総会屋」小池隆一と実弟を商法違反(利益供与)などで逮捕した。
当初、小池隆一の取り調べを担当したのは八木宏幸(33期)だった。八木は大阪地検特捜部で裏社会と住友銀行を舞台にした「イトマン事件」の捜査に関わり、当時は珍しかったパソコンによる「証拠記録の電子データ化」を「ブツ読み」に導入。また「兜町の錬金術師」光進グループ・小谷光浩の事件では、「藤田観光株」の相場操縦を解明するなど、「割り屋四天王」と呼ばれた。特捜部長時代には「朝鮮総連中央本部」の詐欺事件や「防衛省事務次官」の汚職事件などを指揮、のちに東京地検検事正や東京高検検事長を務めた。
小池の実弟の取り調べを担当したのは特殊直告1班の若手、森本宏(44期)だった。森本は一連の金融証券事件で中村信雄(45期)らと日本銀行接待汚職にも関わった。のちに特捜部長時代となり、「リニア中央新幹線談合」「文部科学省汚職」「カルロス・ゴーン」など多くの事件を指揮、東京地検次席検事や最高検察庁刑事部長を経て、法務省刑事局長となる。
「多士済々」な中堅若手
ここで特捜部長・熊﨑勝彦(24期)率いる特捜部の陣容を見てみよう。副部長は笠間治雄(26期)、山本修三(28期)、三浦正晴(27期)の3人だったが、1997年9月に笠間が異動し「秋の陣」から岩村修二(28期)、川崎和彦(29期)が加わり4人となった。
主任検事は井内顕策(30期)、班長クラスは大鶴基成(32期)、粂原研二(32期)、八木宏幸(33期)、そして優秀な人材が揃っていることから「花の35期」と呼ばれたのが黒川弘務、林真琴、佐久間達哉、稲川龍也、小島吉晴らの中堅だった。この35期からは、のちに特捜部副部長を4人も輩出している。
黒川は「リクルート事件」を皮切りに、総会屋事件では前述の通り、野村証券から小池隆一への「現金提供」についての供述を野村幹部から引き出した。また「日興証券」から新井将敬議員への利益供与の捜査などを担当、日興証券役員から決定的な自白を得るなどセンスに優れ、林真琴(35期)とともにプリンスと言われた。黒川は「法務省」でも司法制度改革で大きな役割を果たし、安倍内閣当時は大臣官房長、法務事務次官、東京高検検事長などを歴任し「官邸の守護神」とも呼ばれた。
同じく林も「リクルート事件」の経験を持つ。「総会屋事件」「大蔵接待汚職」では高知地検三席から応援検事として呼ばれ、第一勧銀から大蔵省金融検査官への接待汚職を担当、のちに名古屋高検検事長を経て検事総長となった。黒川と林は2000年代に入ると特捜部から法務省に吸い上げられ、「50年に一度」と言われた「司法制度改革」で手腕を発揮し、いずれ「どちらが検事総長になってもおかしくない」と周囲からも認知されるようになった。
佐久間は「リクルート事件」に携わったほか、アメリカの連邦検察局や米国SECに派遣された国際派で、「総会屋事件」の前年の1996年まで在米日本国大使館一等書記官としてアメリカに駐在した。帰国後に「山一証券」の破綻につながる「粉飾決算事件」を担当する。
のちに「日本長期信用銀行粉飾事件」で主任検事を務め、特捜部長としては小沢一郎の秘書を逮捕した「陸山会事件」の指揮を執った。
法務省刑事局から応援で加わっていた北島孝久(36期)は「金丸元副総裁脱税事件」で金丸の次男を取り調べ、「パレロワイヤル」の金庫の場所を自白させるなど「熊﨑の秘蔵っ子」と言われた。「第一勧銀ルート」で宮崎邦次元会長の取り調べなどを担当、のちに特捜部副部長となり、「ライブドア事件」などを指揮した。退官後は熊崎勝彦法律事務所に入った。
若手では大鶴基成が率いる「第一勧銀ルート」で中村信雄(45期)、小池の弟を調べた森本宏(44期)そして2班から途中で大蔵汚職捜査に加わった木目田裕(45期)がいた。中村は、第一勧銀が総会屋への「う回融資」を始めるきっかけとなった「吉兆会談」の供述を総務担当取締役から引き出したほか「山一証券」「日銀接待汚職」でも幹部から重要な供述を引き出した。
木目田は浦和地検公判部から29歳の若さで特捜部に抜擢され、バブルの四天王と呼ばれた麻布自動車グループ会長の捜査などを担当、途中から大蔵接待汚職に加わり「金融検査官ルート」や「叙勲汚職」などを担当。主任検事の井内らとともに大蔵省への家宅捜索にも立ち会った。大蔵汚職のあとアメリカのロースクルールに客員研究員として派遣され、帰国後は法務省刑事局付、金融庁総務企画局企画課などを経て弁護士に転身した。
現金「3億2,000万円」の衝撃
話を戻すと、「SEC」から帰任した粂原が「絵画台帳」を再度、ブツ読みして分析した結果、野村証券が絵画取引で裏金をつくり、小池に渡していた疑いが浮上した。この情報は粂原から主任検事の井内に報告され、「東京拘置所組」の検事に伝えられたのである。
そして野村証券の総務部元理事が黒川の取り調べに対し、現金「3億2,000万円」を小池に渡していた事実を認めたのである。しかも、驚くべきことに酒巻社長が指示、了承していたのであった。夜になって主任検事の井内からこの報告を聞いた副部長の笠間治雄(26期)は、すぐに特捜部長の熊﨑に報告した。
「大変なことになりました!野村証券は社長の指示によって本社応接室で、現金『3億2,000万円』を小池隆一に渡していました」
それは証券業界のリーディングカンパニーが反社会勢力である総会屋に「現ナマ」を渡していたという、衝撃的な事実だった。しかも経営トップが指示、了承していたのである。
特捜部の調べや裁判記録などによると、現金の受け渡しが行われたのは、株主総会を目前に控えた1995年3月24日に遡る。白昼堂々、やりとりが交わされたのは、東京・日本橋の野村証券本社総務応接室の中だった。
野村幹部らの供述はある大事件の記憶とつながっていた。ちょうど同じ頃、戦後事件史に残る、日本列島を震撼させるテロ事件が起き、小池との面会はその直後に実現していたのだ。
3月20日、地下鉄霞ヶ関駅などでオウム真理教により猛毒のサリンが撒かれ、多数の死者が出た。22日には警視庁がオウム真理教の強制捜査に乗り出し、山梨県上九一色村の教団施設「サティアン」を家宅捜索するなど、日本中が不安に包まれ、騒然としていた。小池隆一が野村証券を訪問したのは、オウム真理教強制捜査の翌々日だった。東京地検は小池の訪問した当日のやりとりを「冒頭陳述」で克明に述べた。
「野村証券本社の地下に車を止めて、小池が現れたのは午後1時すぎのことだった。
小池は手に2つのスポーツバッグを下げて、応接室に入ってきた。
応対したのは総務部元理事だった。総務部元理事はF元常務から託された現金1億円を用意して待っていた。
カネは1,000万円ずつ輪ゴムで束ねられている。輪ゴムはF元常務の指示によるものだった。帯封だと、カネの出所がわかるおそれがあるからだ。
小池は用意したスポーツバッグに無造作に詰め込む。F元常務が約束した金額は「3億2,000万円」である。残り「2億2,000万円」が、まだ部屋に届いていなかった。
小池は次第に険しい表情になった。
「まだですか」
「いったい、いつまで待たせるんですか!」
「銀行の支払いに間に合わなくなってしまう」
小池が口にした銀行とは「第一勧業銀行」のことである。この日は融資返済の期限だった。小池は苛立ち、残りのカネが届くのを待つ。
ジュラルミンケースに入った「2億2,000万円」が部屋に運び込まれたのは、午後2時半すぎ。総務部元理事はケースを開け、小池に「お納め下さい」とさし出した。
中にはビニールでパックされた「1億円」が2包みと「1,000万円」の束が2つ入っていた。
小池はカネをスポーツバッグに詰め込み、2つのバッグを総務部元理事らに地下の駐車場まで運ばせ、車の後部座席に入れた。
小池が車で向かったのは、内幸町の「第一勧業銀行本店」だった。実弟と合流し、銀行の担当者を呼び出して「3億2,000万円」を渡し、実弟が名義上社長となっている「小甚ビルディング」の口座に全額入金するよう指示した。
特捜部によると、あわせて「3億2,000万円」の現金は、小池の実弟の口座「小甚ビルディング」の損失の穴埋めとして、野村証券が捻出した裏金だった。
酒巻社長(当時)は、応接室での現金授受の場には立ち会っていなかったが、事前に報告を受けた上で指示、了承していた。つまり小池に対する現金の提供に、経営トップが深く関与していたことが裏付けられたのである。
「非常手段」を使って用意した現金「3億2,000万円」は裏金であるため、もちろん帳簿のどこにも載せられない。しかし、東京地検特捜部は家宅捜索で押収した資産一覧の「絵画台帳」に記載された、わずかな「ほころび」を見逃さなかったのである。
その方法は裏金分を上乗せして絵画を購入、還流させるという巧妙なスキームだった。(敬称略)
(つづく)
TBSテレビ情報制作局兼報道局
「THE TIME,」プロデューサー
岩花 光
■参考文献
村山 治「市場検察」文藝春秋、2008年
読売新聞社会部「会長はなぜ自殺したか」新潮社、2000年
村串栄一「検察秘録」光文社、2002年
立石勝規「東京国税局査察部」岩波書店、1999年
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