水俣病患者らとの懇談会で、環境省の職員が患者の発言中にマイクの音を絞った問題で、伊藤環境大臣は今月8日から懇談を始め、あさって11日から鹿児島県長島町の獅子島を訪れます。

ニューズナウでは、鹿児島県関連の水俣病患者から、救済の現状や大臣との懇談への思いを聞きます。

水俣病は熊本県・水俣市のチッソの工場の排水が原因の公害です。八代海沿岸の地域で被害が広がり、鹿児島でも出水市、阿久根市、長島町などで患者が確認されました。

水俣市の対岸にある県最北端の獅子島も大きな被害が出た地域の一つです。島で暮らす、大臣との懇談の場に出席した患者男性を取材しました。

長島町の北東にある鹿児島最北端の島、獅子島です。八代海に面し、水俣市と15キロほどです。

(滝下さん)「水俣病は自分の人生を台無しにされた人の気持ち。私にとっては人間の忘れてはいけない教訓」

「水俣病被害者 獅子島の会」会長の滝下秀喜さん(64)です。両親が水俣病の認定患者で、自身も小学生の頃からのどの渇きなどの症状を感じはじめました。現在も手足のしびれなどの症状に苦しんでいます。

(滝下さん)「漁師の島だから。周りはもう魚が売れない売れない、どうしてくれるんだとか。洗濯しながら小石を投げられて、すぐ逃げたとか、悔しい思いした人がおられる」

水俣病は1956年に公式確認された四大公害病の1つです。熊本の企業・チッソが、メチル水銀を含む排水を海に流し、汚染された魚などを食べた人たちが手足のしびれなど神経障害を起こしました。

これまでに水俣病と認定された人は、熊本と鹿児島で2284人。そのうち9割の2058人が亡くなっています。現在も1400人あまりが県や国に患者認定を申請し、審査を待っています。

八代海をはさみ、水俣市の対岸にある獅子島。現在、618人が暮らすこの島でも、1977年に当時の石原慎太郎環境庁長官が島を訪れ、患者から聞き取りしました。

(滝下さん)「これが父です。子どもたちに自分は水俣病だと言わせたことは1回もなかった。子どもが水俣病だと生活するのに不利になると(心配して)抑えていたのではないか」

両親は水俣病患者に認定されましたが、滝下さんは認定されず、1995年の国による救済策の対象からも外れました。

2006年、水俣病の被害を訴える住民88人で「獅子島の会」を立ち上げ、国に救済を求めました。その後、2009年に水俣病特別措置法が成立。2011年、獅子島の会も、チッソと協定を結び、患者へ補償金が支払われました。

救済されたあとも滝下さんは会を存続し、獅子島代表として水俣病で亡くなった島の人たちの慰霊を続けています。

(滝下さん)「私が活動していた時の会長が、4団体のうち、もう3人が亡くなった。1番力のない私は最後に残ったけど、その人たちの思いをつないでいく架け橋になれればと思っている」

今年5月に開かれた公式確認から68年目の慰霊祭のあと、伊藤信太郎環境大臣が患者・被害者団体から話を聞く場として懇談会が開かれました。

しかし、参加者が話をする中…

(参加者)「私はいつも妻と話していました…」
(環境省職員)「申し訳ございません。話をまとめてください」
(他の参加者)「切られた(マイクの)スイッチが」

環境省の職員が話を遮り、発言時間を過ぎたとしてマイクの音を絞りました。懇談会の場には、獅子島の代表として滝下さんも出席していました。

(滝下さん)「周りがなんか静かになったような感じで。おかしいだろうっていうような感じはあった。意見交換をもっと重くみて、しっかりと水俣病の人たちに向き合う姿勢がなかったのかなと思う」

国の対応に批判が集まり、伊藤大臣はその後、患者らに面会して直接、謝罪。今月8日から懇談会に参加していた8つの団体と改めて懇談をはじめました。あさって11日に獅子島を訪問し、滝下さんらおよそ10人の患者と懇談する予定です。

(滝下さん)「水俣病は事件だと思っている。殺人未遂だと思っている。知らない間にね、毒を盛られて、それが続いてどうなったかということ。もう一度、水俣病のことを真剣に振り返って、(大臣も)そういう思いになってほしい」

高度経済成長を背景に、患者の訴えに耳を傾けず、被害が拡大したとされる水俣病。公式確認から70年近くが経った今、国の姿勢が改めて問われています。

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