88.4歳。全国13か所の国立ハンセン病療養所に入所する回復者たちの平均年齢です(2024年5月末現在)。全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)の屋猛司会長(82)は「全療協が旗を降ろすまで、あと5年くらいだろう。何を言い残していくか考えている」と率直に語ります。療養所の課題や、差別の問題について聞きました。(石原真樹)

全国ハンセン病療養所入所者協議会(全寮協)の屋猛司会長

 おく・たけし 1942年、鹿児島県奄美大島で生まれ、大阪で育つ。74年、32歳のときにハンセン病と診断され国立ハンセン病療養所「邑久(おく)光明園」(岡山県瀬戸内市)に入所する。93年から自治会活動に関わり、2006年から自治会長。23年8月に全療協会長に就任。

◆入所者は平均88.4歳 「最後の1人まで国が面倒を」

 ―全国の療養所の状況を教えてください。  全国に13園あり、入所者は710人。男性が311人、女性が399人(5月末現在)。もともと入所者は男性のほうがずっと多かったのが、逆転している。女性のほうが長生きだから。平均年齢は88.4歳、超高齢化だね。各療養所の入所者自治会は5年ほどで閉会せざるを得ないだろう。全療協も、闘争の旗を降ろすのはそのころだと思っている。もう、長くはないよ。長くはないけれど、「しまいどき」を考えて、やることだけはやっておかないと。ぼくは自分が旗を降ろす役目だと思っている。何を言い残していくのか、腹をくくってやってやるつもりだ。  まずは、最後の1人まで国が療養所で面倒をみること。療養所が統合されたら困る。これまでさんざん苦しめられたのだから、最後くらい安心して逝かせてくれ、というのが入所者の願いだ。療養所の園長や職員は国に意見できないから、我々が予算を取ってくるしかない。国家公務員定員削減の流れの中でも、できる限りゆるやかな削減にしてくれと訴えている。もしこれができなかったら、我々は死に物狂いでストライキに入るぞと。そりゃやるよ、ぼくは、やる。一番先にぼくが座る。それくらいの勢いがなくてどうする。

◆療養所をどのように残していくか?

 入所者がいなくなった後も含めてどのように療養所を残していくのか、「将来構想」は各療養所で進めてきたが、できている園とそうでない園がある。邑久光明園では自分が自治会長になって、特別養護老人ホームを誘致した。ホームの入居者と一緒にカラオケをしたり、よく顔を合わせているよ。ホームは入れ代わり立ち代わりだけれど、身内が来るからにぎやかで、我々のところが寂しくなっても人の声がすれば少しは安心するだろうと思う。

邑久光明園にある納骨堂=邑久光明園自治会提供

 納骨堂の更新も必要。現在邑久にある納骨堂は2代目で、平成の初めにできた。令和10年にはぼくらが入るのに新しい納骨堂を造ろうと思っている。初代は昭和17年にできていて、当時は戦争のために鉄砲などを作るので鉄がなくて、鉄骨じゃなくて竹骨だった。竹がぎょうさん入っていてね、それでも結構長くもったんだ。多磨全生園(東京都東村山市)の今の納骨堂も自治会が建てたもので、次は国の整備にしないと。  我々がいなくなっても100年、200年、戦争がない限り続くかな。続いてほしい。戦争になると社会福祉が一気に止まるからね。予算が全部軍備にいってしまい、一番つぶしやすいのが社会福祉。これは昔を考えればすぐに分かること。国自体が右にくるっと回ってしまい、「戦時中に何を言ってるんだ」となる。そういう国だ、日本という国は。

◆「療養所を世界遺産に」未来へ記憶をつなぐには

 ―差別が家族に及ぶことを恐れ、療養所では本名ではなく園名で過ごした方も多く、亡くなった後、納骨堂でも園名のままの方もいます。  園名を2つも3つも持っている人もいる。冗談だけれど、自分の本当の名前が分からなくなるんじゃないかなとすら思うよ。亡くなっても本名に戻らないのは、身内を守らなあかんから。結婚や就職などでいろんな問題が出てくるから、分からないようにしようと。これは、中にいる人の優しさだ。自分がどうこうではなく、家族を守るためなんだ。  ―長島愛生園(岡山県瀬戸内市)と邑久光明園、大島青松園(高松市)を中心に、世界遺産登録を目指す構想はどうなっていますか。  できるかできないかは分からないよ。でも、その過程が啓発になるとぼくは考えている。長島には歴史的建造物がいろいろあるけれど、療養所内の施設を残す・残さないは、各施設の考え方があるからね。邑久は古いものを壊して新しいものを建ててきたから、あまり古いものは残っていないんだ。

◆自分と違う人と、純粋に付き合えていたか…自問自答

 ―ハンセン病を巡る差別の問題についてどう考えますか。  今年3月に出た意識調査は項目が多すぎて、難しすぎる。そもそも差別の調査は難しい。自分がしていないつもりでも、わからないうちにやっているかもしれないしね。心の問題、心の内の問題だから。そうだろう? 表に出るときにはよそいきになるし、自分の中のことを自分でほんまに正直に考えたら、誰でも差別はあるんじゃないかな。ぼくだってやっているかもしれない。たとえば、小学校のときからクラスに1人か2人、韓国や朝鮮の同級生がいた。成人したあとも彼らの結婚式に行ったり一緒に食べたり飲んだりしたけれど、じゃあ本当に、頭の中で果たして、純粋に付き合えていたかな?とどうしても考えるよ。  今はそこまでひどい後遺症を持っている回復者は少ないけれど、昔はひどくて、外に出るのが嫌だという人が多かった。顔に障害があったりして、どこにいっても奇異な目で見られるから。それがトラウマ(心的外傷)になり、今でも外に出るのが嫌だという人がまだまだ園内にいる。園内にいれば何の心配もないからね。でもだからといって隔離政策が良かった、というのは間違いだ。国が隔離して、ご飯を食べさせて好きなことをさせただろう、というのは根本が間違っている。それまで差別され逃げ回らなければならなかった人を隔離して、差別を助長したのだから。

◆教育の重要性「ハンセン病問題を基本に人権を認識して」

 これまでの長い歴史の中で、らい菌に感染して発病した療養所の職員は1人もいない。心配はひとつもないのに、いまだに認識しようとしない人がいるのが、偏見差別のもとだ。国が差別を助長してきた。「らい予防法」が長くあって、国民の頭にこびりついているからね。我々がおらんようになって、「それで、ハンセン病ってなんだったの?」となってしまいかねない。  教育が大事だ。長いようで、一番それが短い。ハンセン病のことだけではなくて、ハンセン病問題を基本として、人権を認識してもらいたい。30年かかっても50年かかってもいいから、子どもたちが親になってから子どもに教えればいい。日本はこれだけの人権意識がある、となれば、一等国の値打ちがあるよ。これからどんな感染症が出てくるかわからないし、知らない病気が出てきたときに対応できるような日本であってほしい。

邑久光明園=島隆諦撮影

◆療養所に学びに来ても、中身を知ろうとしないと困る

 ―コロナ禍で横行した差別をどう感じましたか。  我々の療養所で職員が差別なんてしたら大恥だ!と言って、うちの施設ではスムーズだったね。我々が職員からコロナをうつされても、差別するわけじゃないしね。我々は外に出るなといわれたら出へんし、でも職員は通勤していて、子どもや家族がいる。子どもが学校でもらってきて職員にうつって、無症状で出勤して、我々が感染する、ということがあったかな。これまで邑久光明園で感染した入所者は16人で、私が最初にかかったんだ。なんてことなかったな。  あちこちで差別が起きていたのは、やっぱり無知だからだと思う。知らないということ、知ろうとしないことが原因だろう。ハンセン病とかエイズウイルス(HIV)とか、名前を聞いただけで「知りたくない」と思うのと同じだ。入り口で排除してしまう。中途半端に分かっている、というのが一番怖い。中途半端に知っているから「怖い」となってしまう。療養所に学びに来るのはいいけれど、「行ったことに意義がある」だけの人、中身を知ろうとしない人は困る。  子どもたちには正しい知識と、あとは自分のことを一番大事にしなよ、と伝えたい。自分を大事にするように友達を大事にしなよ、と。そうするといじめもなくなるからね。  ―社会復帰していた回復者が、年を取って療養所に戻るケースがあります。  やっぱり、寂しくなるんだろうね。外では病気のことなどを言えないからね。だから「会長、もうわし死ぬわ」と戻ってきて、あっという間に元気になったりするよ。治ったら、健常者の妻がいるからとまた出ていく。ここは療養の施設だから、健常者の家族は一緒に入れない。これは難しい問題で、療養所の中で生きてきた人からすると「それは覚悟で出て行ったのだろう」となる。療養所なんていられるか!と出て行ったのに、動けなくなったからすまんけど戻るわ、嫁もいる、となるとね。それぞれの立場、思いがあるんだ。これはいずれ決着をつけなきゃいけない問題だけれど、今はまだ難しい。

◆相談窓口の拡充、職員の待遇改善が必要

 ―差別をなくすために何が必要でしょうか。  今の相談窓口などを拡充して、職員が長く働けるように給料を上げることが大事だ。腰掛け的な働き方ではなく、長くやってもらわないと困るから。国立ハンセン病資料館(東京都東村山市)や各療養所の資料館で働く学芸員にも、きっちり学んで引き継いでいってほしい。  ハンセン病問題基本法(ハンセン病問題の解決の促進に関する法律)の見直しも取り組む。2年以内だね、そうしないと我々の命がもたん。あとは横の連携だね。5月に北海道で開かれたハンセン病市民学会でも話したけれど、障害者団体「DPI日本会議」は人数が多いし、彼らに、ハンセン病やアイヌ民族のことも協力してほしいと話している。差別をなくすために横の連携を構築するつもりだが、どう折り合いを付けていくのかなど、これから勉強していかなきゃいけないと思っている。 

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