1964年4~7月、広島と長崎の被爆者25人が当時の米国やソ連、東西ドイツなど8カ国150都市を巡り、被爆証言をした「広島・長崎世界平和巡礼」から今年で60年となった。参加した広島市の阿部静子さん(97)は「うつむきながら暮らしていた私に、巡礼は勇気や自信をくれた。『原爆の生き証人』として語ろうと決意した」と振り返る。  広島に原爆が投下された45年8月6日、18歳だった阿部さんは爆心地から約1・5キロの屋外で被爆した。体の右側から熱線を浴び、顔は焼け、右腕の皮膚が爪までむけて垂れ下がった。  逃げた先の軍需工場で横になっていると、被爆から3日目に父の呼ぶ声が聞こえた。「ここよ」と答えたが、顔が腫れ、風貌が変わった姿に「あんたが静子か?」と何度も確認された。  やけどはケロイドとなり、皮膚が盛り上がって指が変形し、口元はゆがんだ。右腕は約10センチ短くなった。皮膚の移植など、受けた手術は18回。顔は赤く、心ない子どもたちに「赤鬼」とはやし立てられた。しゅうとめには離婚を迫られ、つらい日々を過ごした。


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