死者8人、600人に上る重軽症者を出した松本サリン事件から30年。
最愛の家族を失った遺族の悲しみは、今も癒えていません。
千葉県南房総(みなみぼうそう)市。
この海沿いの街に、松本サリン事件の遺族が暮らしています。
伊藤洋子(いとう・ようこ)さん84歳。
この地で育てた長男の友視(ともみ)さんを事件で亡くしました。
伊藤洋子さん:
「亡くなった時の悲しみがね、いつになったら消えるかなんてそんなことはなくて、ずっと引きずっていて同じですよ。だから30年経ったとは思えない」
伊藤さんは、26歳で命を落とした友視さんが、56歳となった姿を想像するときがあります。
伊藤洋子さん:
「(友視さんと)同級の人をたまに見ると、このくらいになったんだな、もうみんな頭が白くなってる人も結構いるじゃん。だからうちの子も白くなってたのかなって思っちゃう」
英語が得意で外資系の製薬会社に就職した友視さんは当時、社会人5年目。
松本市の出張所に勤務していました。
伊藤洋子さん:
「これからっていう時に、殺されちゃったんだから、誰の親もみんな同じでしょうけど、それだけは本当に忘れてもらっちゃ困るね」
30年前の6月27日に発生した松本サリン事件。
伊藤さんは、翌日、夫の輝夫(てるお)さんと松本に駆け付けました。
夫・輝夫さん:
「薬剤師で何でこのように死ななければならないのか悔しくて悔しくて」
輝夫さんは事件のあと脳梗塞で倒れ、右半身が不自由になりました。
1996年に始まった麻原彰晃(あさはら・しょうこう)こと松本智津夫(まつもと・ちづお)元死刑囚の裁判。
夫・輝夫さん:
「病気もあるが、そのまま死にたくない。死刑の判決を耳に入れて死にたいです」
松本元死刑囚は不規則な発言を繰り返し、判決までに長い年月を要しました。
「死刑です」
死刑が確定した1年後の2007年、輝夫さんは72歳で亡くなりました。
それから11年、松本元死刑囚の刑が執行されました。
伊藤洋子さん:
「これで全部の死刑囚が執行されたと思うと、この間も一区切りかなと思ったけど… これからも2度とそういうことが繰り返されてはいけないと思う」
息子を失った悲しみの中、支え合って生きてきた夫も亡くなり、現在はひとりで暮らしている伊藤さん。
事件直後は毎日行っていたという墓参りですが、今は月に2回ほどになりました。
伊藤洋子さん:
「なんだか知らないけど歩くのもやっとだよ」
来たときには花と掃除を欠かしません。
伊藤洋子さん:
「お参り出来てありがたいです」
手を合わせるときは友視さんにこう語りかけます。
伊藤洋子さん:
「私を守ってくれないと墓守がいなくなるから、残された人をちゃんと生かしてと」
海が見える高台に建つひときわ高い墓石は、友視さんの身長と同じ178センチ。
刻まれているのは「毒ガス事故により死亡」という文字です。
伊藤洋子さん:
「はじめはサリン事件ってわからなかったでしょう。オウムもわからなくて毒ガス事故によるって書いてあるでしょう」
真相が明らかになってから「オウム真理教によるサリン事件で死亡」と加えられました。
伊藤洋子さん:
「なに悪いことしたってわけでもないんだけどさ、本当に殺され損だよね。何をどうしたって子どもが返ってくるわけでもないし、それ以外にないでしょ。それでたまに夢に出てくる時はね、大人になった姿じゃなくて、26歳は子どもじゃないけれども26歳から進んでないの、夢に出てくる友視は。そしたら夢かぁなんて思ってね」
30年という月日が経ち、サリン事件を知らない世代も増える一方で、遺族の時間は止まったままです。
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