静岡県伊豆市に古くから伝わる「修善寺紙」という和紙があります。一時は生産が途絶えた伝統工芸を、一人の若者が使われなくなった農地を使い未来へつなごうとしています。
静岡県伊豆市の「修善寺紙谷和紙工房」です。修善寺紙の職人・舛田拓人さん(32)が、3年前から1人で紙作りをしています。
富山市出身の舛田さんは大学卒業後、大手スポーツメーカーに就職しシューズの開発部門で製品作りに携わっていましたが、伊豆市の「地域おこし協力隊」に応募して和紙職人の道に入りました。
<修善寺紙谷和紙工房 舛田拓人さん(32)>
「こういう伝統工芸の職人っていうのは人手不足だったり稼ぎが少ないとかっていう理由で後継者不足が叫ばれているというのは知っていたので。そんな中で、後継者がいないから技術が途絶えてしまうことはすごく悲しいことだと思いました」
修善寺紙が作られたのは1000年前の平安時代と言われています。
鎌倉時代の出来事を記した歴史書「吾妻鏡」の一部で修善寺紙が使われています。
長い歴史のある修善寺紙ですが、明治から大正にかけては安く大量に生産できる「洋紙」が伝わり、さらに、修善寺紙をつないできた地元住民の高齢化も進み、一時は生産ができなくなりました。
<修善寺紙谷和紙工房 舛田拓人さん>
「こちらが和紙の原料を育てている畑です」
Q. この木が和紙になる?
「はい、ミツマタという名前の低木です」
舛田さんの工房では原料を育てるところから和紙作りが始まります。
しなやかで独特のツヤがある「ミツマタ」は、古くから和紙や紙幣など品質が求められるものに使われてきました。
<修善寺紙谷和紙工房 舛田拓人さん>
「僕が来た頃は、何も植えられていない雑草とかが生い茂ってるような畑でした」
修善寺は農家の高齢化などによって管理が行き届かない土地が増えています。舛田さんは積極的に「休耕地」を使って栽培しています。
和紙の材料となるのはミツマタの皮の部分。蒸して柔らかくした状態で皮をはいでいきます。ほぼすべての工程が手作業で行われる和紙作りは効率がいいとは言えませんが、強い耐久性や独特の風合いが生まれます。
<修善寺紙谷和紙工房 舛田拓人さん>
「紙の原料はこの木の繊維からできているんですけど、洋紙はすごく繊維がボロボロの状態で紙になる。なので和紙に比べると短い100年から300年しか持たないと言われています。木の繊維をなるべく壊さないように作られるのが和紙だから、1000年ほど持つと言われています」
舛田さんの次なる願いは、この伝統を次世代につなげること。伊豆市の修善寺小学校では、30年以上前から卒業証書に使う修善寺紙を子どもたちが手作りしています。
<児童>
「自分がおじいちゃんになっても同じ形で残ると聞いてびっくりした」
<児童>
「めっちゃうれしいです」
「すごくいい思い出になると思う」
<修善寺紙谷和紙工房 舛田拓人さん>
「一番の目標は、この修善寺紙という1000年続いてきた紙をこれからの1000年につなげるということ。この紙の裏側にあるような歴史的な部分や、すべて自然のものからできているっていう部分だとか、それを通してストーリーみたいなものを感じてもらえたらうれしい」
舛田さんは、修善寺紙を通して紙を無駄なく使うことの大切さを感じてほしいと話しています。
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