北朝鮮からの脱北者の単独インタビューです。北朝鮮はコロナを理由にほぼ4年間、国を閉ざしました。この間何があったのでしょうか。この脱北者は北朝鮮内部の貴重な映像を撮影していました。

脱北者が撮影した北朝鮮内部映像 飢える人々の姿

行き倒れだろうか。男性がひとり倒れ込んだまま動かない

撮影した脱北者
「近くの店の主人に彼は死んでいるのかと聞いたら、前日の午後から倒れていて触ってみたけど、まだ死んでいない。飢えて倒れているようだが、まもなく死ぬだろう、と言っていた」

これは北朝鮮南部、黄海南道(ファンヘナンドウ)で、2023年4月に撮影された。

煙草をくゆらせる、物乞いに来た男性。

撮影した脱北者
「あなたの作業班でも飢えている人は、ひとりやふたりじゃないでしょう?」

物乞いの男性
「凄く沢山いる。それでも働きに出て…。やむを得ず出てゆく人も多い。死にそうだ…」

これらの映像は、韓国に脱北した男性が北朝鮮のスマートフォンで撮影したものだ。

コロナを理由に北朝鮮が国を閉ざす中、飢える住民たちをとらえた貴重な映像だ。

「失敗したら家族全員が処刑」命懸けの脱北

2024年3月、映像を撮影した青年にソウルで会うことが出来ました。

30代前半だというキムさんです。

インタビューには、軍や警察関係者も同席しました。警護と監視のためです。

日下部正樹キャスター
「キムさんはソウルに来てどれくらいになりますか?」

脱北者 キムさん(30代)
「2023年5月7日に入国しました」

多くの脱北者が中国やロシアなど、第三国を経由するのに対して、キムさんは海を渡って韓国に入りました。

これが脱北で使った木造船です。

妊娠中の妻と母親、弟家族の総勢9人で、韓国・延坪島(ヨンピョン島)を目指しました。キムさんは、まず脱出の詳細を語り始めました。

キムさん
「ここから出ました。ここに出てきました。ここまで」

日下部キャスター
「普段は船でこのあたりの魚を取ったりしていた?」

キムさん
「そうです。船に乗って海に出るたび、延坪島が目の前に見えるたびに、自分一人でも脱北したいという気持ちに火がつきました。

でも、あとで家族離れ離れの苦しみを抱えたくなかったんです。家族全員を連れていく方法を探しました。その方法を半年間ずっと考えていました」

キムさんが脱北を目指すようになった理由。

それは個人の自由や権利が認められない社会に、絶望したからだった。

キムさん
「こちらでは全く理解できないでしょうけれど、北朝鮮では、家を一歩出たら、すべての物事を100%疑わないと生きていけません。

何も考えずに道を歩いていると、誰かが笛を吹いて、むやみに捕まえて身体検査をして、言いがかりをつけるのです。『どうしてジーンズをはいているんだ。これは朝鮮社会主義式ではない』。『なぜ労働時間に出歩いているんだ』と。なんでも犯罪にでっちあげることができるのです」

コロナ後、政府は国民の管理をさらに強化した。

食料は専売制となり、人々は足りない米などを闇取引で買い求めた。

ある日、キムさんの家に、取り締まり機関の保安員が捜査令状を持ってやってきて、蓄えていた米を運び去ろうとしたという。

キムさん
「『私たちのお金で買った食料ですから持って行かないで。私たちのものです』と主張したら、保安員に『この土地はお前のものか?お前が吸っているこの空気も全部党のものだ』と言われました。これ以上、ここに希望はない。この土地から逃げだそうと、決心しました」

何日も脱北を決行する機会をうかがった。

選んだのは波が高く、月明りがわずかにある曇りの日。台風が近づいていて、警備艇が撤収する可能性が高い。

しかし、それは賭けでもあった。

警備兵に見つかったときに備え、刃渡り50センチの刀を用意。

粉唐辛子と砂を詰めた卵をそれぞれ持って船に乗り込んだ。

万が一のときには、それを投げつけ、目くらましに使う計画だった。

キムさん
「失敗したら家族全員が処刑されるから。藁をも掴む思いでした。神様が見捨てるなら、死ぬだけだと覚悟しました」

海に出て約2時間。

キムさん
「境界線を超えたときには、ほっとしたと同時に、どっと疲れを感じました。ただ、ただ、嬉しかったです」

食料不足深刻化で…急増する凶悪犯罪

海を挟んで北朝鮮に接する江華島(カンファ島)。

海岸線には延々と鉄条網が続きます。

日下部キャスター
「北朝鮮を一望できる展望台に来ています。対岸に広がっているのは、キムさん一家が住んでいた黄海南道です」

望遠レンズを使うと対岸の様子がうかがえます。

農作業に従事する人。自転車で移動する人。監視塔らしき建物もあります。

コロナ以降、扉を閉ざした北朝鮮内部で一体何が起きていたのでしょうか。

2020年1月以来、北朝鮮はコロナ感染対策を理由に、厳格な出入国制限を行い、人と物の行き来が止まった。

韓国に渡る脱北者の数にも明確に表れている。

韓国統一省によると、多い時には年に2000人を超えたが、この4年間で激減している。

徹底的な統制によって北朝鮮は、「苦難の行軍」と呼ばれる1990年代の大飢饉以来の食料不足に陥っていたのだ。

脱北者 キムさん(30代)
「苦難の行軍の時期より厳しかったです。その時でも、穀倉地帯の黄海南道では、飢え死にしませんでした。

しかし、コロナの間は毎日のように、町内の誰々の父親が死んだ、誰々の子供が死んだらしい。そんな話が聞かれるほど沢山の人が死にました」

食料不足が深刻化するとともに、凶悪犯罪が急増したと言う。

キムさん
「生きてゆくために凶悪犯罪が増えました。殺人や強盗が日常茶飯事でした。公開処刑も沢山ありました」

日下部キャスター
「公開処刑を見に行きましたか?」

キムさん
「見ました。2023年4月中旬ですが、大学生が中年女性を殺して、480万ウォンを盗んで逃げたんです」

日本円で8万円ほど。

エリートであるはずの大学生が金目的で犯罪を犯し、処刑された。

手錠をかけられた若者たち。

北朝鮮は、韓国文化の流入にさらに神経をとがらせている。

これは韓国のシンクタンクが入手した公開裁判の映像。

映像によると、2人の少年が韓国の映画やテレビ番組を視聴・配布したとして、懲役12年の刑が言い渡された。

傍聴席には見せしめのためか、被告と同年代とみられる若者たちが座る。

皆マスクを着けていることから、コロナ流行時の映像とみられる。

キムさん
「2022年7月26日のことです。22歳の人でしたが、韓国の音楽や映画を友人と見たとして銃殺されました。処刑を前の方で見たのではっきり記憶しています」

キムさんはそれまで淡々とインタビューに応じていました。

ところが、質問が家族におよぶと感情を露わにしました。

キムさん
「そんな話もさせるんですか。家族はインタビューに反対しているのに、私は応じているのですよ」

さらに政治の話題になると…

日下部キャスター
「コロナの金正恩政権をどう評価しますか?」

キムさん
「わかりません。政治的な発言は出来ません。悪いけど。最高指導者がすることに、ああだ、こうだ、と言えますか」

後日、キムさんから送られてきた写真には…

脱北者のキムさん。

2時間にわたるインタビュー中、私に対する警戒をひとときも解かなかったように思います。

キムさん
「もう終わりにしませんか?」

最後は私の目を全く見なくなりました。机の下ではスマートフォンをしきりにいじっていました。

キムさんが北朝鮮を出てまもなく1年。

家を出たら周囲を100%疑い、他人の事は絶対信じない。キムさんは、北朝鮮社会で生き抜くルールにいまだ縛られているようでした。

後日、キムさんからスタッフのもとに一枚の写真が送られてきました。

脱北後、韓国で生まれた長男です。

家族の話題を避けてきたキムさん。

何か心境の変化があったのでしょうか。

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