石破は政権発足直後の解散に踏み切った(10月9日、衆院本会議) ISSEI KATOーREUTERS

<田中角栄を師と慕い、より民主的な政治を目指す石破茂が自民党総裁戦に勝利し、自民党の中核にある路線対立を浮き彫りにした。安倍が国内外で容赦なく権力を追求した代償を石破、あるいは自民党はどう清算するのか>

2018年の自民党総裁選挙で安倍晋三首相(当時)に負け戦を挑む決意をしたことほど、石破茂の人柄を明確に物語るエピソードはない。

当時、安倍は第2次政権の6年目に入っていた。森友学園と加計学園をめぐるスキャンダルが支持率に響いてはいたものの、国内では圧倒的な影響力を持ち、国際社会でも政治家としてますます存在感を高めていた。


自民党は2017年に党則を変更して総裁の任期を「連続2期6年」から「連続3期9年」に延長し、安倍が歴代最長の首相在任期間を達成することを可能にしていた。自民党が安倍の3選を拒む可能性は皆無といってよかった。

それでも石破は総裁選に出馬した。2012年9月の総裁選で敗北を喫してからも安倍を忠実に支えてきたが、不満は募るばかりだった。

石破に言わせればアベノミクスは大企業と大都市を優遇し、格差を広げていた。また安倍の安全保障改革は、国防をめぐる深い議論を避けているように思えた。

政策以前に、石破は正当な理由で利益誘導や権力の乱用を批判をされても頓着しない安倍の強引なリーダーシップに失望していた。そこで「正直、公正」をスローガンに掲げ、総裁選に立候補した。安倍の支持者たちはこのスローガンを、首相に対する個人攻撃と捉えて非難した。

石破は意外な健闘を見せたが、結果は予想どおり安倍の圧勝だった。

対立の代償は大きかった。10月に首相に就任するまでの8年間、石破は一度も入閣せず、党の要職にも就かなかった。安倍の熱烈な支持者には裏切り者と非難された。安倍の辞任に伴う2020年の総裁選で最下位に沈んだのも、これが一因だったに違いない。

所属政党と足並みがそろわなくとも、石破は自身が安倍政権の重大な過失と信じる問題に関して考えを曲げようとしなかった。


そのため党内に味方が少なく、今なお大きな力を持つ右派に嫌われているともっぱら噂されてきた。そんな石破が今年9月27日、安倍の最も忠実な側近だった高市早苗を21票差で破って自民党総裁、つまりは次期首相に選出されたのだ。これは驚きだった。

石破と安倍および安倍支持者の違いは、政策だけにとどまらない。むしろ彼らの違いは党内の根本的な理念の分裂を反映している。

たとえ国民の賛同が得られなくとも戦後に課された制約を取り払い、日本を軍事面でも他の主要国と肩を並べる完全な大国にすることを目指す──これが自民党の伝統だ。再軍備化を提唱した岸信介を祖父に持つ安倍は、文字どおり伝統の継承者だった。

冷戦後、異論は退けるかあるいは吸収する形で、安倍ら党指導者はこの伝統を自民党の主流としていった。

庶民宰相の教えを胸に

片や石破は、これに対抗する系譜に属している。

1980年代に若い石破を政治の世界に引き入れたのは、田中角栄元首相だった。70年代後半にロッキード事件の収賄容疑などで逮捕されてからも、田中は法廷に立ちながら田中派を最大派閥に拡大し、自民党の「闇将軍」として悪名をはせた。

汚職のイメージの強い田中だが、その政治は理念に支えられていた。

田中は新潟県の貧しい家庭に生まれたたたき上げで、どんなに辺ぴな地域も高度経済成長から取り残されてはいけないと固く信じていた。「日本列島改造論」を提唱し、自民党は道路や橋や新幹線を建設して雇用を創出し、自分の故郷のような寒村の開発を進めるべきだと訴えた。


また「庶民宰相」の異名を取るだけあって、田中は筋金入りの民主主義者だった。石破ら若い政治家には、最も優先すべきは有権者の声に耳を傾け、国の力を使って彼らの生活を良くすることだと説いて聞かせた。

1970〜1980年代にかけて田中派は自民党を支配したが、田中の裁判と健康悪化を受けて分裂していった。求心力を失うなかで、石破を含む弟子の一部は政治改革を目指して離党し、自民党は1993年に初めて野党に転落した。

1997年に石破は復党したが、その頃までに自民党の性格はがらりと変わり、安倍の台頭を後押しする右傾化が既に始まっていた。

しかし、自民党が変わっても、石破は田中から学んだ教訓を貫いた──自民党は有権者の声を聞かなければならない。日本の中で最も恵まれない人々や地域の生活を改善しなければならない。自民党が大きな変化を望むなら、例えば憲法改正や国防費の増額を目指すなら、有権者を説得して支持を得るために懸命に努力して誠実に語らなければならない、と。

軍事オタクの安全保障論

石破が自民党の政治家の中で常に人気が高いことは偶然ではない。そして、彼が現代の自民党で際立っている点は、田中を慕い続ける思いだけでなく、日本が世界で果たすべき役割についても独特の見解を持っていることだ。


満州で従軍した経験のある田中は再軍備に懐疑的で、冷戦時代はアメリカからの自立を強く主張した。一方、石破は平和主義者ではない。それどころか「軍事オタク」を自称している。ただし、安倍とその支持者が日本を世界の大国にする一環として軍事力を強化しようとしているのに対し、石破の一番の関心は国と国民を守ることだ。

日本は軍事的脅威から自国を守る能力を保有し、アメリカの無謀さや無責任が日本を危険にさらす可能性を考えてアメリカへの依存を減らすべきだと、石破は考える。もちろん、日米同盟に反対してはいないが、核抑止力の管理を含め、日本が独立したパートナーとして本格的に関与することを望んでいる。

一方で、日本が優位に立つためだけに権力を争うことや、東アジアの軍事バランスばかり考えることを、石破はよしとしない。軍事力の追求と並行して、中国や韓国など地域の大国と外交および通商関係を築くことの重要性を強調しており、戦時中の過去について日本がより謙虚になることを求めている。

こうした理念の違いは9月の総裁選でもあらわになった。石破は「国民の安全と安全保障」を強調する政策を掲げ、高市は「総合的な国力の強化」をスローガンに挙げた。


この2つの政策の間には、戦後の日本政治の最も根強い亀裂がいくつか存在する。そうした亀裂は21世紀の日本において、相対的な衰退を容認して順応しようとする政府か、あるいはそれを覆すために途方もない手段とリスクを取る政府かという違いになる。

だからこそ石破の前途は楽観できない。安倍の思想とその後継者たちは、安倍が12年から22年に死去するまで支配した党内で、今も非常に大きな力を持つ。石破の勝利は、旧安倍派の最終的な敗北を意味するものでは決してない。高市は既に次の総裁選に向けて準備しているだろう。

もっとも、今回の結果は石破の「反安倍」ビジョンと高市の「親安倍」ビジョンの勝負というより、有権者の根強い石破人気が自分の議席を守ってくれるだろうと考えた選挙に弱い議員たちの日和見的な賭けであり、石破は高市より自分のレガシーを守るだろうという岸田文雄前首相の賭けだったのかもしれない。

つまり、石破は党内で依然として孤立している。総裁就任から1週間でアベノミクスへの批判を緩めた主な理由の1つは、岸田が安倍の経済政策を継承し推進してきたからだ。さらに、旧安倍派の政治資金疑惑に関与した議員に一旦は寛容な姿勢を示した。これは1918年に石破が声高に拒絶した、権力を死守する政治スタイルにほかならない。


理想主義を手放す代償

とはいえ、こうした妥協は避けられなかったのかもしれない。高市とその支持者は党内野党の勢力を形成しており、石破が安倍路線からあまりに逸脱すれば、反乱を起こす可能性は十分にある。

ただし、石破のこのような対応は、理想主義的な真実の語り手としての自らの評判を損ないかねない。より民主的な政治を実現しようというその決意は、石破が政治を続ける理由そのものであるはずだ。そうした変化は政権発足直後に首相としての力を弱めるだけでなく、10月27日投開票の総選挙で自民党が単独過半数を維持する可能性をも脅かすだろう。

安倍の政治的ビジョンに今も多くの党員が固執している状況で、石破のような経歴の政治家が「安倍後」の自民党を構築しようとすることは荷が重すぎるのかもしれない。

だが、石破が新しい自民党の構築に失敗したとしても、総裁選の勝利は日本の与党の中核にある路線対立を浮き彫りにした。安倍が国内外で容赦なく権力を追求した代償を自民党が清算するかどうか。この争いが、今後何年にもわたり日本の政治を形作ることになる。

From Foreign Policy Magazine

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