私が初めて「お母さん」に会ったとき、彼女は庭で腰をかがめて何やら忙しそうに作業していた
<河川敷に暮らすホームレスの中には、女性もいる。小さな土地で美しい絵巻を紡いでいたその老婦人は、知り合ったばかりの在日中国人ジャーナリスト、趙海成氏に波乱の半生を語り始めた。連載ルポ第5話>
※ルポ第4話:猫のために福祉施設や生活保護を拒否するホームレスもいる...荒川河畔の動物たち より続く
私が彼女を初めて見掛けたのは3週間前のことである。
荒川の河川敷に住む桂さんと斉藤さん(共に仮名)を訪ねる際にはいつも小さな森を通るのだが、そこにはテントと自転車が置かれていた。その数から見ると、そこには3人のホームレスが住んでいるはずだ。
足どりを遅めて森の中を覗くと、腰を曲げて働いているかのように見える老婦人の姿が見えた。私はスマホでこのシーンを撮った。
4日前にまたその森を通ったときには、彼女が同じく腰を曲げて何かをしているのが見えた。野菜を作っているのだろうか。いやそうは見えない。地面は平らで、土を掘り起こした形跡もない。
私はついに足を止め、森に近づいて中を覗きたいと思った。その時、突然その老婦人が顔を上げて、私と目を合わせた。
私は急いで彼女に挨拶した。「おはようございます。申し訳ありませんが、私はここを通って、あなたが何をしているのか見たいだけです」
老婦人は私を見てしばらく呆然とし、そして口を開いた。「あなたは誰ですか。どうして私に話しかけたのですか」
「私は近くに住んでいる中国人です。橋の向こうのホームレスの友人2人を訪れる途中にここを通ったのです」
実は、私は無意識にもこの出会いのために準備をしていた。3週間前に老婦人が腰を曲げて何か作業をしている写真を撮った後、桂さんに、この辺りに住んでいるホームレスの女性を知っているかと聞いていた。
桂さんは言った。「知っていますよ。彼女がいま住んでいる所は、以前は私が住んでいたんだ。私が引き払ってから、彼女がそこに引っ越してきたんです」
桂さんは私に、この老婦人が息子と一緒に暮らしていたことを教えてくれた。
私は彼女に聞いた。「私のホームレスの友人2人は桂さんと斉藤さんという人ですが、彼らを知っていますか?」
私は「知り合いを共有する」ことで自分と老婦人との距離を縮めようとした。この方法はうまくいき、老婦人のぎこちない表情が少し緩んだ。
私たちはおしゃべりを始めた。近くの橋の上を時々電車が通るので、私たちの会話は電車の轟音に遮られることが多い。彼女が何を言っているのかはっきり聞くために、森の中に一歩踏み入り、草むらの上にひざまずいて彼女と話を続けた。
お互いの重病の家族の介護について話す中で、私たちは、共感することが少なくないことに気づいた。
老婦人に聞いた。「これからは『お姉さん』と呼んでもいいですか、それとも『お母さん』と呼んだほうがいいですか?」
彼女は「どちらでもいい」と言った。「でも、この辺りの人はみんな私をお母さんと呼んでくれています」
「じゃあ、私もこれからはお母さんと呼びましょう」と私は言った。
私自身も驚いたのだが、彼女は異国から来て知り合ったばかりの私に、彼女の半生の不遇な経験を語り始めた。
お母さんの「家」の庭と彼女が住んでいるテント渡米したが、夫ががんに。2人の子を女手一つで育てた
このお母さんは若い頃、家電の部品を生産する工場で働いていた。結婚してから夫と一緒にアメリカに行き、そこで3年間生活したことがあるので、彼女は英語が少し話せる。私は英語がよくわからないが、彼女の発音は一般的な日本人よりもずっと上手に聞こえた。
夫のアメリカでの仕事は園芸師。特に金持ちの別荘の庭の手入れをしたり、草花を刈ったりするのを手伝っていた。彼女は、夫の助手として芝刈り機を使い、芝生の芝刈りなどをしていた。
彼らはアメリカに渡ったときに娘を連れて行き、アメリカ在住中に男の子も産まれたが、夫が腸がんになったため、家族4人で日本に帰った。夫は手術と治療を受けたが、結局この世を去った。
夫が世を去ったとき、彼女はまだ29歳で、再婚しようと思えばできたし、彼女を求める人も少なくなかった。しかし、2人の子供のために彼女は再婚をあきらめた。
自分1人の力で、2人の子供を育て上げた。娘はすでに結婚して子供ができ、今は地方に住んでいる。息子も結婚して子供ができたが、離婚し、子供は妻側に残した。
今では彼女は息子と寄り添って生きているが、彼らは一緒に住んでいない。息子はアルバイトをしていて、食事も住まいも勤め先にあり、お母さんは年金で暮らしている。彼女が住んでいるのは家賃を払わなくてもいいテントで、自分と息子のために少なからぬ支出を節約することができる。
お母さんは79歳で高齢だが、体はまだ丈夫そうに見える。これは神様が彼女に与えた福分だろう。
自分の過去を話し終えると、お母さんはため息をついた。「生きていくことは本当に大変だ。どの家庭にも困ったことはあるものでしょ」
キャップを一つ一つ並べ、「金ぴかのじゅうたん」を編む
ある中国人女性作家の言葉が思い出される。「時代の奔流の中の一粒の灰も、一人の人間の上に降りかかれば、それは一座の山となる」
この日本人のお母さんは、最終的に彼女の頭の上の山に圧倒されなかった。彼女は粘り強く生きているだけでなく、センスのある生活を送ろうとしている。
彼女が普段していることは、昔の夫のように、自分が住んでいる所の庭の木や竹の枝をはさみで切ることだ。そして、普段集めている飲料品のキャップを、一つ一つ、整然と庭の周辺に置いている。カラフルな花壇のようにも見えるし、金ぴかの絨毯のようにも見える。
これがお母さんが庭で飲料品のキャップを使って編んだ「金ぴかのじゅうたん」ついに最初の疑問に対する答えを見つけた。お母さんがよく腰を曲げてやっていたのは、自分の手で、神がたまたま彼女に与えたこの小さな土地で、美しく感動的な絵巻を紡ぐことだったのだ。
※ルポ第6話(10月2日公開予定)に続く
※ルポ第4話はこちら:猫のために福祉施設や生活保護を拒否するホームレスもいる...荒川河畔の動物たち
[筆者]
趙海成(チャオ・ハイチェン)
1982年に北京対外貿易学院(現在の対外経済貿易大学)日本語学科を卒業。1985年に来日し、日本大学芸術学部でテレビ理論を専攻。1988年には日本初の在日中国人向け中国語新聞「留学生新聞」の創刊に携わり、初代編集長を10年間務めた。現在はフリーのライター/カメラマンとして活躍している。著書に『在日中国人33人の それでも私たちが日本を好きな理由』(CCCメディアハウス)、『私たちはこうしてゼロから挑戦した――在日中国人14人の成功物語』(アルファベータブックス)などがある。
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