乗用ドローンを開発するイスラエルのスタートアップ企業 AMIR COHENーREUTERS

<日本の四国ほどの面積、常に戦争とも隣り合わせの国が最新ITを牽引する背景には、男性にも女性にも義務づけられた「徴兵制」の存在が──>

今年2月、イスラエルのテルアビブ大学で、最先端AI(人工知能)技術の進化や課題、最新トレンドを議論するイベント「AI Day」が開催された。

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もともとこのイベントは1週間の日程で行われる予定だったが、昨年10月7日にイスラム組織ハマスが大規模テロを起こし、イスラエルが戦争状態に入っていたために開催が危ぶまれていた。だが、イスラエルのテクノロジー分野はテロに屈服しない、という意思を世界に示すため、1日限定でイベントは開催された。


筆者はこのイベントを取材するためにイスラエルを訪れていた。大学内の講堂で行われたイベントの冒頭には、進行役のテルアビブ大学関係者が「空襲警報が鳴ったら速やかに避難していただく」とステージ上でアナウンスし、戦時下の緊張状態にあることを再認識させた。

ただ、常に戦争と隣り合わせのこの日常こそが、まさに世界のIT業界を支えるテック大国イスラエルの礎になっていると言えるだろう。

ユダヤ人国家であるイスラエルが、世界の名だたるテック企業を牽引していることはよく知られている。

2024年現在の世界的企業の時価総額ランキングを見ると、トップ企業の多くは創業者や経営者がユダヤ系だ。アップル、マイクロソフト、アルファベット、メタ、インテル、オラクルなど、現代の世界を支える企業が名を連ねている。

またユダヤ系企業でなくとも、イスラエルの優れた技術を開発するスタートアップ(新興)企業を買収するなどしてイスラエル発のテクノロジーを獲得している世界的企業も数多い。その規模は22年に総額169億ドルにも上っている。

過去の有名なケースでは、06年に記録媒体で有名なサンディスクがイスラエル企業が開発したUSBドライブ技術を買収している。17年にはインテルが自動運転技術を開発するイスラエルのモービルアイを買収し、大きな話題になった。

時価総額でアップルを抜いて話題になった半導体メーカーNVIDIA(エヌビディア)も今年、AI管理ソフトを開発するイスラエル企業を買収した。

そもそもイスラエルには、有能なテック人材が多い。そのため、世界中の企業が買収を視野にスタートアップに注目しているだけでなく、こぞってイスラエルにR&D(研究開発)の拠点を置いている。

その数は現在、433企業にもなり、マイクロソフトやIBM、インテル、シスコ、クアルコム、シティバンク、シーメンスなど枚挙にいとまがない。

イスラエルでは徴兵制がテック人材育成のベースになっている MICHAEL JACOBSーART IN ALL OF USーCORBIS/GETTY IMAGES

技術と科学に生存を懸けて

なぜイスラエルは技術力の高いテクノロジーを開発する有能なテック人材を輩出できるのか。その背景には、イスラエル独特の国家型エコシステムがある。その鍵を握るのが「徴兵制」で、つまり軍事部門が重要な要素となっている。

このエコシステムを理解するのには、まず国の成り立ちを知る必要がある。日本の四国ほどの面積のイスラエルには現在、約955万人が暮らす。イスラエルは、宗教対立を抱え、領土をめぐって長く争うアラブ諸国に囲まれている。北はレバノンやシリア、東にはヨルダン、南にはエジプトが存在する。


1948年の独立から現在まで、周辺のアラブ諸国とは4度も戦火を交えている。イスラエルには3大宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の聖地エルサレムがあり、その帰属をめぐって、パレスチナ人が暮らすパレスチナ自治区とも敵対。

特にイスラエル南部のガザ地区を拠点とするハマスとは、何度も軍事的な衝突が起きている。

昨年10月に、ハマスの戦闘員らがイスラエルに侵入して約1200人が殺害されたテロ事件は記憶に新しい。イスラエル政府はハマス殲滅を掲げて今もガザ地区に報復攻撃を続けており、これまでに民間人を含めて4万人以上が死亡している。

ハマスなど反イスラエル勢力による攻撃も、これまで何度も繰り返されてきた。イスラエルの背後には地中海が広がり、まさに背水の陣の様相で生存を懸けて戦ってきた。

そうした現実から、イスラエルは早い段階から自国を守るための軍事力に力を入れ、独自のエコシステムを確立してきた。

テルアビブ大学教授でイスラエルのIT部門を政府内で牽引してきたアイザック・ベンイスラエル少将は、「イスラエルは建国前から、天然資源のない国がいかに生き残れるのかを真剣に考えてきた。そこで必要なのは、教育や科学、テクノロジーの分野で他国に抜きんでることだとの認識を持つようになった」と話す。

そして建国後の貧しい時代にも、政府は、周辺の敵から身を守るための防衛技術につながる科学的な研究やテクノロジー開発を重要視して投資を行ってきた。現在では「デュアルユース(軍民両用)」と呼ばれる技術の開発だ。

1967年のフランスショック

大きな転機が訪れたのは67年。イスラエルと、エジプトやシリア、ヨルダンなどアラブ諸国の間で、第3次中東戦争、いわゆる6日間戦争が勃発した。それまで武器調達で依存していたフランスがアラブ諸国に肩入れすることを決め、イスラエルに対する武器禁輸措置に踏み切った。

このフランスの動きにショックを受けたイスラエルは、軍事部門における他国への依存度を減らす必要があると悟る。そこで国内の防衛分野やそれに関わるテクノロジー分野への投資を強化するようになり、そこから目覚ましい急成長を遂げることになった。


さらに、自分たちの戦力を高めるだけでなく、開発した技術を輸出する知識集約型のハイテク分野の構築に焦点を置いた。アラブ諸国に対する地政学的な劣勢を埋め合わせるために、IT技術に傾倒していったというわけだ。

ベンイスラエルは、「そのおかげで70年代には、低賃金で雇える有能な科学者やエンジニアが数多く育っていた」と言う。80年代には既にIBMやインテル、モトローラなどが次々とイスラエルに研究開発センターを設置するようになっていた。

90年代半ばにパコソンや携帯電話が一般にも普及するようになると、イスラエルのそれまでの投資も実り、世界有数のIT国家として知られるようになった。防衛意識から生まれたイスラエルのIT分野は順調に成長を遂げ、スタートアップも数多く生まれている。

IT分野の成長を支える重要な要素が、イスラエル軍の徴兵制度だ。ベンイスラエルは、「意外に思うだろうが、徴兵制こそがイスラエルの技術的な革新を可能にしている」と言う。

「端的に言えば、イスラエルがテック分野で成功した秘訣は『大規模な戦略』が根底にある。その戦略は、イスラエルの置かれている過酷な地政学的環境から生まれた。その戦略の大事な要素は、質で優位に立つことと、大規模な研究開発の取り組みを推進することだ」

イスラエルでは、18歳になれば国民はイスラエル軍に入隊する義務がある(アラブ系など一部免除あり)。男性は2年8カ月、女性は2年、イスラエル軍に所属して、国防の現場で勤務する必要がある。また、40歳までは予備役として登録される。

実はこの徴兵制は武器を持って戦闘をすることだけが目的ではない。優秀な人材を育成するための重要な役割を担っている。

イスラエル軍の人事部は、19歳のイスラエル人の若者を全て、入隊前にスクリーニングする。

その際に、科学やエンジニア部門で秀でた人材を青田買いして、軍が学費を負担して徴兵時期を延期するなどの支援をしながら専門的な分野に送り込む。実際に毎年、1000人ほどの優秀な高校生が軍に入隊する前に大学へ送り込まれる。

「8200部隊」の出身者とは

そうした学生は大学を卒業した時点で軍に入隊し、有給の職務経験を軍で積み、能力を磨くことになる。

イスラエル外務省のイノベーション開発部門を率いるラン・ナタンゾンによれば、軍ではスタートアップなどで革新的な開発を行うための「リーダーシップ」「チームワーク」「共同ミッション」「ネットワーキング力」を学ぶという。


また優秀なエンジニアなどは、イスラエル軍の「シギント」活動を担う「8200部隊」に配属され、国防の最前線でその腕を磨く。シギント活動とは、シグナルインテリジェンスの略で、通信の傍受や監視、ハッキングやサイバー攻撃などを指す。

筆者が知るエンジニア出身のスタートアップ経営者などは、この8200部隊の出身者が少なくない。軍の実戦で身に付けた経験から、本当に民間が求める民生技術のアイデアを練り出す。

軍から最長5年で除隊すると、一般社会に出る時点で立派な即戦力になっている。イスラエルはこうしてエンジニアやプログラマーなどを育てており、世界的に見ても能力の高いエンジニア人材の宝庫となっている。

そのイスラエルの技術力が、シリコンバレーをはじめとする世界的なテック業界を支えているのである。

先端技術を生み出すスタートアップ国家という立ち位置を生き残りの一つの手段として推し進めるイスラエル政府は、この「エコシステム」を全面的にバックアップする。

政府はイノベーション庁などを通して、スタートアップに多額の投資を行っている。イスラエル政府は現在、R&Dへの投資にGDPの6%(約170億ドル)を投資しており、この割合は世界で最も高い。

加えて、イスラエル外務省のナタンゾンによれば、「テック業界が盛り上がる環境が整っている」と言う。「スタートアップに投資を行うベンチャーキャピタルファンドも400近く活動している。

また企業をいろいろな側面から支援するインキュベーターも19組織あり、起業家たちはビジネスに集中できる」

そんなイスラエルが今、最も注目しているのがAI分野だ。世界のAI投資を「投資」「革新」「導入」で評価した「グローバルAI指標」によれば、イスラエルは現在、世界第7位にランクしている。ちなみに日本は12位だ。

「いま政府は、今後何年かにわたってこの分野でのイスラエルの継続的なリーダーシップを確保することを目的とし、省庁横断でAI開発のための国家プログラムに約27億ドルを投資している」と、ナタンゾンは言う。

必要に迫られた国防意識から始まった、世界に先駆けた革新技術の開発によって、今では世界から一目置かれる存在になったイスラエル。

その長年培ってきたエコシステムによって、昨年10月のハマスによる大規模テロとその後の戦争状態の中でも、イスラエルのテック分野は足踏みすることなく投資を呼び込んだ。


テロ以降、イスラエルのテック人材の15%は戦争に招集されたが、スタートアップなどはテロ後の6カ月で総額31億ドルの投資を呼び込んでいる。テロの脅威の前にも止まらないイスラエルのイノベーション部門の強靭さが確認されたことになる。

それもまた、世界のテック企業がイスラエルを信頼する理由だ。

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