「微住(びじゅう)」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。移住でも旅行でもなく、一定期間その土地で“暮らすように旅するスタイル”の一つです。福井市出身の“生活芸人”でプロデューサーの田中佑典さんが提唱したもので、7年前から台湾と福井の間で微住を進めています。田中さんは、福井はゆっくり時間をかけることで魅力が伝わるとして、「微住」が地域観光の新たな戦略になると強調します。こうした中で、7月から約2カ月間、台湾の大学生が県内に微住しました。人口減少が進む地域の観光のヒントになるかもしれません。
機織りが盛んな坂井市丸岡町にあるリボン工場「エイトリボン」では、工場見学を希望する台湾からの観光客に備え、社員が中国語を学び始めました。講師を務めるのは田中佑典さんです。
田中佑典さん:
「『チェッガ』っていうのは『これ』。物を表します。『これ見てください』は『カン チェッガ』です」
台湾で建築やデザインを学ぶ3人の大学生もインターンとして参加していて、レッスン後は、社員が会話の実践練習を兼ねて学生らを工場へ案内しました。
<社員と大学生の会話>
社員:「触ってみてくださいというのを教えてほしい」
大学生:「『モウモウカンバ』です。触るは『モウモウ』です」
大学生:「これは(リボン生地の)裏面ですね?」
社員:「そうです」
大学生:「裏は『ベイミェン』、表は『ビャオミェン』といいます。
その機織り機の後ろには手作業で糸を束ねる職人が作業中で、学生たちはその繊細な
職人技に見入っていました。
案内した社員は「自分の発音に不安があったが、工場に案内した時に自然に触ってみてという表現がでるようになっていて楽しかった」と話していました。
一方、福井市東郷地区にある最勝寺では、「微住」受け入れの地として地元の有志が田中さんと共に取り組んでいて、石碑も建てられています。
この日は東郷地区の夏の一大イベント「おつくね祭り」の開催前日で、準備作業に追われていました。
作業が一段落した学生たちは、住民に台湾の味を堪能してもらおうと、定番料理の一つ「ルーローハン」を慣れた手つきで作り上げ、振る舞いました。住民たちは「おいしい」「日本ではあまり使わないスパイスを使っていて異国情緒のある味」などと話し好評でした。
「微住」を通して台湾人と交流が続く東郷地区で、住民は街の変化を感じているのでしょうか。住民たちに話を聞くと「普通に日本人と同じように話かけてくれる雰囲気ができている」「地域が微住に影響されて変わるのではなく、慣れるくらいで、地域らしさは今まで通りであってほしいと思っている。いろんなところと関わりがあるのはいいこと。地方にとって重要」と前向きにとらえていました。
田中さんは「微住を受け入れる側も、心が成長していくし心の距離も近づいていく。地域の人も最後には『また来てね』とか『今度は私たちも行くよ』と言うようになる。それが僕が目指している一期三会。一過性の関係でなく、何度も行き来しあえるような交流が、福井にはぴったり」と話します。
では、台湾の学生は福井についてどんな印象をもっているのかというと、学生たちは
「福井に来る前は何もわからなかった」「地域の人と食事を作ったり、台湾ではできないような生活がここで体験できた」「多くの住民と知り合って、馴染んできて人や場所に愛着がわいた」と、微住の良さを話します。
コンビニが近くにない生活環境に不安を抱いていた学生も、次第に地域に溶け込んでいきました。人口減少が加速する中、微住のように時間をかけて理解を深めることが、福井の強みになると田中さんは強調します。
田中佑典さん:
「微住をするときに最初は“おもてなし”と言って格好をつけるが、おもてなしという言葉には実は裏があり、その裏を見たい。微住者にとっては、祭りの準備の部分も貴重な体験なので、外から来る人は、もっと普通の暮らしや我々との関係を求めている。それが起点となって地域や人への愛着になるので、福井の人にも理解してもらい、微住者の受け入れ地域が増えていけばと思っている」
台湾の学生は、大野市、福井市東郷地区の2カ所を拠点に約2カ月間微住しました。訪れた企業は15社ほどで、田中さんは今後、「微住」受け入れとなる県内の拠点も増やしていけたらと話しています。
地方に残る伝統文化を時間をかけてじっくりと味わい、細く長くつないでいく微住。
自然と行き来する関係性を築くことで、人口減少に悩む地域の新たな資源となるかもしれません。
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