(渡邊雄太選手)
「僕のキャリアはまだまだ続きますし、これから日本でやるにあたって日本のバスケを今度は日本でどんどん盛り上げていけたらと思っているので、応援していただければ」
バスケットボールのNBAで日本人最長となる6シーズンプレーした香川県三木町出身の渡邊雄太選手。NBAでのシーズンを終え、2024-25シーズンからは日本でプレーすることを表明しました。困難を乗り越え続けた渡邊選手の新たな挑戦が始まります。
(渡邊雄太選手)
「この度、6年間のNBA生活、そして11年間のアメリカ生活に終止符を打ち日本に帰ってくることを決断しました」
2024-25シーズンから日本でプレーすると明かした渡邊選手。その理由は。
(渡邊雄太選手)
「自分の中で何がしたいのか考えたときにコートに立ってプレーがしたいというのが一番大きなことだったので。自分が生まれ育った、自分がやりたい場所でプレーするのが一番ではないかという思いで、Bリーグでプレーすることを決めた」
渡邊選手は香川県三木町出身。尽誠学園時代には2年連続で全国準優勝を果たし、高校卒業後の2013年、NBAを目指して単身アメリカに渡りました。
(渡邊雄太選手)
「どんどん試合に絡んで活躍してNBAのスカウトの目に留まればNBAも夢でなくなってくると思うので」
新しい環境で言語の壁にも苦しんだと語る渡邊選手。しかし2メートル6センチの高身長ながら、機動力の高いディフェンスと3ポイントを武器とするオールラウンダーとして頭角を現します。
そして大学卒業後、メンフィス・グリズリーズと一定期間のみ出場できるツーウェイ契約を結び、念願のNBAデビューを果たしました。
日本人2人目のNBAプレーヤーとなった渡邊選手は、日本代表としても活躍します。東京オリンピックではキャプテンとしてチームをけん引。4月21日の会見では2024年のパリオリンピックでの躍動を誓いました。
(渡邊雄太選手)
「今後もたくさんしんどいことも出てくるし、色々なチャレンジが目の前に現れると思うが、本当に楽しいバスケット人生だったと言えるようなバスケットキャリアを築いていけたら」
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