こまばアゴラ劇場にて HISAKO KAWASAKI-NEWSWEEK JAPAN

<現代演劇の旗手として、また文化政策のオピニオンリーダーとしても活躍する劇作家・平田オリザ。ロングインタビューの最後は、平田の本業である劇作家としての活動について語ってもらった>

大学1年のときに初めての戯曲を執筆して以来、平田は児童劇やオペラも含めて数多くの作品を書き続けてきた。かつては「劇団の座長を55歳前後ぐらいにやめたい」と語っていた平田だが、現在61歳。創作活動への意欲はまだ当分衰えることはなさそうだ。

劇作家としての今後

──かつて朝日ジャーナルの「新人類の旗手たち」に登場した平田さんも還暦を過ぎて、演劇活動の集大成ということを考える頃かと思います。

芸術文化観光専門職大学の学長の任期が最長で10年で、もう4年目に入っていますから、任期が終わるまでの間にある程度大学も演劇祭も僕がいなくても大丈夫な形にしたいっていうのはあります。

──そこからは演劇人として青年団の活動に専念したいと。

そうですね。江原河畔劇場は民間の劇場なので、そこから先はのんびり劇作家としていい作品を作りたいと思いますけど。

──将来的に青年団を集団指導体制にもっていくとかは?

それはないです。それは劇団員にも言っていて、それはないので、緩く解体というか、ネットワークみたいになるかなと思うんですけど。

演劇の社会的地位向上を果たしたい

──豊岡のみならず、日本全国各地をワークショップや講演で連日飛び回っていますが、ここまでくれば、もうそろそろ減らして、劇作に充てる時間を増やしてもいいんじゃないですか?

うーん、そうもならなくて。もともと落ち着きがないんですよ。だからずっと台本を書いてられないんです。すぐ飽きちゃって、他のことをしちゃうので。それで、ゲームはやらないですけど、テレビとか見ちゃうくらいなら、エッセイ書こうかとか、論文書こうか、小説書こうかみたいな感じで。落ち着いたからと言ってたくさん芝居を書けるわけではない(笑)。

あと、以前より良くなったとは言っても、まだまだ演劇も芸術も社会的な地位が、欧米、特にヨーロッパに比べると圧倒的に低いんです。僕は向こうで仕事をしてきたので、プレミアリーグを経験したサッカー選手とかと同じで、せっかく一生の仕事として選んだからには演劇をもうちょっとどうにかしたいなっていう思いがあります。

──劇団の新作は今、数年に1本くらいですか。

そうですね。小っちゃいものは結構書いていますが。それと、来年はまた新作オペラを瀬戸内国際芸術祭と豊岡演劇祭の共同制作で作ります。香川県が高松市にあなぶきアリーナ香川という多目的アリーナを作るんですが、定員1000人のサブアリーナの杮落としを頼まれています。

ただ、やっぱり劇団でのお芝居が一番大変なので、今回アゴラの売却もあって、色々と経済的に落ち着かせて、再来年くらいからフルスペックの新作を年に1本は作りたいと思っています。

──2000年代に入ってからはロボット演劇なども展開していました。

2010年からの10年間は震災もあったし、ロボット演劇をやって、オペラもハンブルク州立歌劇場*という頂点まで極めて、小説を書いて、ももクロ主演で映画化もされて。ちょっと方向性がバラバラになっちゃったので、そろそろ原点に返って劇作家として集中したい。やっぱり自分としては劇作家のマインドが一番強いので。書くのが一番好きですから、そういう気持ちはあります。

*細川俊夫のオペラ『海、静かな海』に平田は作・演出として参加。2016年にケント・ナガノの指揮で世界初演された。ハンブルク州立歌劇場は1678年に開場、グスタフ・マーラーも音楽監督を務めたドイツを代表する歌劇場。

──昔、日本劇作家協会の北九州大会でコンピューターに劇作ができるかというシンポジウムに出席されていましたが、最近はAIの進化がすごいですよね。

あれは、いいんじゃないですか、どんどん使えば。僕はロボット演劇やっていたくらいだから全然アレルギーはないです。ロボットをやり始めたときも随分怒られましたけどね。いろんな人に「けしからん」とか。いつも怒られてる(笑)。

これも100年後はわかんないですけど、将棋の世界で人間がコンピューターに負けて、もう将棋は終わったかな、というところから、藤井聡太さんみたいな天才が出てきて、将棋の質が変わりましたよね。だから、これからの20年はAIをうまく使った者が勝ちになるんじゃないですかね。だって、藤井さんに対して、「お前はオリジナルの手がない」っていう人はいないでしょ。勝てないんだから誰も。

青年団の近年の代表作『日本文学盛衰史』 © T.Aoki

──劇作家として今後やっていきたいと思うことは?

テネシー・ウイリアムズだって面白い短編もたくさんあるけど、やっぱり今残っているのはほぼ初期の『ガラスの動物園』『欲望という名の電車』の2本ですよね。だから、そんなに歴史に残るものを何十本も書けないんですよ。ただ僕の場合は『ソウル市民』があり、『東京ノート』があり、『S高原』があり、幸いにして今も世界中で上映してくださるというのは、それは劇作家としては非常に幸福だったと思います。

ただ、そうは言ってもここに留まるんじゃなくて、60代の平田オリザにしか書けないものはあると思っています。例えば『日本文学盛衰史』*、あれは書くのがすごい大変だったんですよ。あれだけの大作で登場人物の細かい一覧表まで作ったから。でも、そういう時間かけてきちんと書く作品もやりたいなとは思います。それと学生たちとも何年かに1回はやりたいですね。

*高橋源一郎の同名小説を原作にした作品。北村透谷、正岡子規、二葉亭四迷、夏目漱石という明治の文豪の葬儀を舞台にコメディタッチで描いた青春群像劇。上演時間が休憩なし2時間20分、出演者24人という大作で平田は第22回鶴屋南北戯曲賞を受賞した。

地方に暮らす人びとの営みを描いていく

──ご自身に子供ができたとか、そういうことの影響は?(2017年、55歳にして初めて子供ができた)

児童劇に関してはあります。今年も、ほんとに小さい20分くらいの作品を今書いているところなんですけど、そういうのはあります。

──お子さんの存在が作家としての代表作へ与える影響は?

それは多分ないでしょう。でも、地方に移住したことの影響はあると思います。やっぱり、地方に暮らす人々の喜びとか悲しみという部分は。たまたま『東京ノート』ってそういう内容で、よくあんな芝居をあの時代に書いたなって自分でも感心するんですけど。

でももうちょっと、今の時代の地方に生きる人たちとか都会に出ざるを得なかった人たちのこととかは、わかるようになったかなって感じがする。次は多分、そういう作品を書くと思うんです。


平田オリザ(ひらたおりざ) 1962年東京生まれ。劇作家・演出家・青年団主宰。芸術文化観光専門職大学学長。江原河畔劇場 芸術総監督。豊岡演劇祭フェスティバル・ディレクター。国際基督教大学教養学部卒業。1995年『東京ノート』で第39回岸田國士戯曲賞受賞、1998年『月の岬』で第5回読売演劇大賞優秀演出家賞、最優秀作品賞受賞。2002年『上野動物園再々々襲撃』(脚本・構成・演出)で第9回読売演劇大賞優秀作品賞受賞。2002年『芸術立国論』(集英社新書)で、AICT評論家賞受賞。2003年『その河をこえて、五月』(2002年日韓国民交流記念事業)で、第2回朝日舞台芸術賞グランプリ受賞。2006年モンブラン国際文化賞受賞。2011年フランス文化通信省より芸術文化勲章シュヴァリエ受勲。2019年『日本文学盛衰史』で第22回鶴屋南北戯曲賞受賞。

【動画】平田オリザの代表作『東京ノート』


平田オリザの代表作の一つ『東京ノート』は、小津安二郎の「東京物語」にインスパイヤされた作品で、近未来の欧州で戦争が起き、多くの美術作品が日本に避難してきているという設定。こちらの映像は芸術文化観光専門職大学の図書館で行われた公演のハイライト。 有限会社アゴラ企画 / YouTube

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