清朝末期の地図。濃い黄色は「中国」、薄い黄色は「属領」とある PUBLIC DOMAIN
<台湾・香港・内モンゴル・チベット・新疆の結託で包囲された中国だが、1648年のスイス独立に倣えば「火種のリング」を「緩衝のリング」にできるかもしれない──>
中国は6月21日、台湾独立派を取り締まる措置として、重大案件では死刑を認め、欠席裁判も可能とするという意見書を発表した。これは単なる「意見」にすぎず、全国人民代表大会が形式的に承認する法案ですらないのだが、直ちに施行された。
しかしこの動きを、法を超越した中国的暴挙と片付けてはならない。これは、中国周辺部の領土に絡んで次々と起きている危機を収束させるため、タイミングを計って取られた措置だ。その危機とは、次のようなものを指す。
①台湾で頼清徳(ライ・チントー)が総統に就任した。頼が率いる独立派の民進党が総統ポストを握るのは、この四半世紀で5期目となる。
②アメリカ外交は、1951年のサンフランシスコ平和条約と71年の国連決議2758の内容を各国に思い出させようと必死だ。サンフランシスコ平和条約は台湾の帰属を定めていない。国連決議2758は中華人民共和国を中国唯一の代表政府として承認したが、台湾が中国に帰属するとは明言していない。
③米議会が先頃、中国政府とダライ・ラマ14世との間でチベット問題を交渉で解決するよう求める法案を超党派で可決した。
④香港独立運動が、2019年のデモは頓挫したものの、その後支持を広げている。
⑤中国周辺部の5地域(台湾、香港、内モンゴル自治区、チベット、新疆ウイグル自治区)の独立運動がその規模も、地域の歴史や民族的背景も違うのに、結託して中国を「火種のリング」として包囲している。
より正確に言えば、包囲している対象は「中国本土」と呼ばれる中国の内地だ。
明朝が初めて採用し、18世紀後半以降に欧米と日本の研究者が広く使い始めたこの概念は、歴史的に漢民族が多数派である地域を、清朝以降に中国に組み入れられた地域と対比して指すもので、15もしくは18省だけをいう(現在の中国は台湾を除くと22省で、自治区、直轄市、特別行政区を含め33の「省級地方」がある)。
◇ ◇ ◇中国と西側諸国との関係悪化は、5つの独立運動について新たな認識を広めるのに一役買いそうだ。
これら周辺地域の独立運動には歴史的・道徳的な正統性があり、国際的な強い賛同と支援を受けるに値する。さらに中国の人権侵害の過酷さを考えれば、虐げられている人々にとっての有効な解決策は民族解放しかないという認識だ。
中国からの分離独立は、すぐには不可能だ。しかし歴史を振り返れば、中国から属国・属領が離脱した例はいくつもある。
朝鮮とベトナムは中国との朝貢・冊封関係を1000年以上続け、19世紀にようやく離脱。モンゴルも1911年に独立を宣言した。いずれも当時の支配王朝が停滞していた時期だった。
同じことが再び起こるかもしれない。中国は1978年から鄧小平が主導した改革開放政策で経済成長を続けたが、2008年前後を境に停滞に転じている。
逆説的な言い方になるが、これは中国にとって全く悪い話ではない。スイスは1648年に独立し、小国が列強に独立を保障される見返りとして厳格な中立を誓った。
香港が「スイスモデル」に倣えば、中国はほかの4つの独立運動との緊張関係(特に台湾との関係)を平和的に解決する手段を得られるかもしれない。
そうなれば「火種のリング」の5地域は、中国本土と西側との「緩衝のリング」となり、中国が欧米と軍事衝突する可能性は低くなる。
狭量で好戦的な中国の習近平(シー・チンピン)国家主席にこの解決策を迫れば、反発するのは必至だ。だが、弱体化する中国を見識あるリアリストが統治すれば、結果は全ての関係者にとって最善のものになるかもしれない。
練乙錚
YIZHENG LIAN
香港生まれ。米ミネソタ大学経済学博士。香港科学技術大学などで教え、1998年香港特別行政区政府の政策顧問に就任するが、民主化運動の支持を理由に解雇。経済紙「信報」編集長を経て2010年から日本に住む。
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