少年犯罪の検挙人数は1983年をピークに大幅に減少している photo-ac
<世の中が悪くなっていると思い込む「ネガティブ本能」に多くの人が囚われている>
5年ほど前、ハンス・ロスリングの『ファクトフルネス』という本が話題になった。事実(fact)に基づいて社会を把握する心構えが説かれていて、一般読者が陥りがちな認識の歪みとして、10の本能が挙げられている。注目すべきなのは、世の中が悪くなっていると思い込む「ネガティブ本能」だ。
本書ではいくつかのクイズが出されているが、日本社会に即した格好の題材がある。「少年非行は増加していると思うか?」という、世論調査の設問だ(内閣府『少年非行に関する世論調査』2015年)。回答の選択肢は、以下の3つだ。
1.増えている
2.変わらない
3.減っている
集計の結果を見ると、78.6%が「1」を選んでいる。8割近くの国民が、「少年非行は増えている」という、ネガティブなイメージを持っている。しかしながら、統計に当たってみると答えは「3」だ。『犯罪白書』の長期統計によると、少年の刑法犯検挙・補導人員(触法少年を含む)は、ピークの1983年では26万1634人だったのが、2022年では2万912人となっている。最も多かった頃の12分の1でしかない。
少子化の影響を除くため、各年の10代人口1万人あたりの数にすると、1983年は141.3人だったのに対し、2022年は19.3人。こちらも、7分の1にまで減っている。事態は良くなっているにもかかわらず、世論はネガティブイメージに囚われている。
もっとも、非行の大半は遊び感覚の万引きなので、よりシリアスな罪種に絞ってみるとどうか。凶悪犯(殺人、強盗、放火、強制性交)と粗暴犯(暴行、傷害、脅迫、恐喝)の検挙・補導人員を、10代人口で割った数にする。<図1>は、1950年から2022年までの長期推移だ。
悪質性の高い罪種に限っても、結果は同様だ。2022年の数値は、凶悪犯が1万人あたり0.5人、粗暴犯が3.6人と戦後最小の水準となっている。これは10代人口で割った数なので、少子化の影響は除かれている。
しかし世論はというと、上述の通り、8割近くの国民が「非行は増えている」と思い込んでいる。たまに起きる大事件がセンセーショナルに報じられるためだろう。『ファクトフルネス』では、良いニュースは広まりにくく、悪いニュースは広まりやすいと言われている。
世論というのは、歪められやすいものだ。実害はないと思われるかもしれないが、そうでもない。国の政策は、世論に押されて決まることが多々ある。
2015年に道徳が教科となり、文科省の検定教科書が使われることになった。戦前の修身科を彷彿させるが、「非行が増えている」「子どもが悪くなっている」といった世論の影響もあるかもしれない。
若者のモラルが低下しているという声も聞くが、データを見るとそうでもない。20代の若者に4つの道徳を提示し、大切と思うものを2つ選んでもらった結果をグラフにすると、<図2>のようになる。当該の道徳を選んだ人のパーセンテージだ。
権利尊重と自由は減少し、親孝行と恩返しが増加の傾向にある。2013年までの推移であるものの、若者は義理堅くなっていることが見て取れる。
道徳の教科化を支持するエビデンスとは、どういうものだったのだろうか。「子どもは悪くなっている」という、国民のネガティブ本能に押されただけのことであったとしたら恐ろしい。
世論の形成に寄与するメディアにしたら、「子どもは良くなっている」「教育は良くなっている」と大っぴらに言うのはためらわれる。楽観的な状況診断が政策を誤らせたら大変で、ひとまずネガティブ論を立てておけば問題ないとなる。学者や評論家の仕事も、基本的には問題提起だ。
しかし『ファクトフルネス』で言われていることだが、「悪い」と「良くなっている」は両立する。前者は今のことで、後者は過去と比べた変化だ。この両輪を見据えることが、ネガティブ本能を抑えるのに有効だという。「良くなっている」とは、現状の容認を意味するのではない。
教育論議では、「悪い」と「良くなっている」の両輪のうち、前者ばかりを過大視してしまいがちだ。後者もすくわないと、現場で奮闘する教師の心も折れてしまう。「悪い」と「良くなっている」の両輪がバランスよく見据えられていたら、2015年の道徳教育改革も違ったものになったかもしれない。
<資料:法務省『犯罪白書』(2023年版)、
統計数理研究所『日本人の国民性調査』>
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