議会の解散と総選挙を宣言したフランスのマクロン大統領 NATHAN LAINEーBLOOMBERG/GETTY IMAGES

<アタル首相からも止められた突然の解散総選挙宣言に溢れる疑問の声。中道左派から見捨てられたマクロン大統領は、「脱悪魔化」した極右・国民連合に勝てるのか>

6月9日の日曜、フランス政界に激震が走った。それも2度。瓦礫の山から首を出した政治家たちが目にしたのは、まるで天地がひっくり返ったかのような世界。いったい何が起きたのか?

最初の揺れは、国内で欧州議会選挙の投票が締め切られた直後に起きた。マリーヌ・ルペンの極右政党「国民連合(旧国民戦線)」の圧勝が確実になったのだ。

ただし、これには予感があった。事前の世論調査でも、若武者ジョルダン・バルデラを党首に担いだ国民連合の支持率が30%以上で、バレリー・アイエを代表とする与党「再生」の2倍以上だった。

票の集計が進むにつれて衝撃は深まった。国民連合は過去の欧州議会選でも主要政党に勝っていたが、今回はその差が17ポイントにも近づいた。

しかもブルターニュやイル・ド・フランス地域圏(首都パリを除く)のような中道派の牙城を含む全ての地域を制した。支持層も、かつて手の届かなかった高齢者や大卒・専門職の人にまで広がっていた。

その後にもっと大きな余震が来た。選挙結果が判明して1時間としないうちに、エマニュエル・マクロン大統領が国民議会(下院)の解散総選挙を宣言した。マクロン政権に対抗する野党勢力も与党の有力政治家たちも、これには天を仰ぐしかなかった。

誰も解散を予想せず

「ここまで国民連合が強くては解散総選挙など不可能だ」。ある現職閣僚は数週間前に、そう語っていた。マクロン自身も5月までは、欧州議会選はEUの問題であって、フランスの政治にまで影響が及ぶものではないと述べていた。つまり、本人も解散宣言などは想定していなかった。

賭けに出たな、と政界関係者や評論家たちは言う。マクロンは解散宣言の直前に、ごく少数の同志と相談していたが、首相のガブリエル・アタルを含め、みんな大統領に再考を求めたと伝えられる。

火消しをしたくて火を付ける「放火魔消防士」に等しいと切り捨てた人もいる。だがレッテル貼りはむなしい。必要なのは「なぜ?」の解明だ。いくつかの説明があり得る。

まずは「大胆さ」。18世紀末のフランス革命で雄弁家として名をはせたジョルジュ・ダントンは言ったものだ。「大胆に、より大胆に、常に大胆に。それでこそフランスは救われる」と。

マクロンも、大胆さでは誰にも負けない。実際、衝撃の解散総選挙宣言で野党勢力は度肝を抜かれた。

だが、あいにく1党だけ例外があった。当初から(少なくとも口先では)解散総選挙を求めていた国民連合だ。

国民連合のジョルダン・バルデラ党首(前列右)とマリーヌ・ルペン(同左) SERGE TENANIーHANS LUCASーREUTERS

その一方、マクロンの解散宣言で左派勢力に大同団結の機運が生まれたのも事実。左派は2022年の国民議会選挙に共闘組織「新人民環境社会連合」を結成して臨んだが、うまくいかなかった。

連合結成を呼びかけたのは極左政党「不服従のフランス(LFI)」を率いるジャンリュック・メランションだったが、どうにも彼の個性が強すぎて社会党や緑の党などの反発を招き、連合は内部崩壊した。

しかし今回、マクロンの大胆さに刺激を受けた左派の諸勢力は大胆に動いた。翌日の夜には、もう互いの間で意見の相違を調整し始めた。音頭を取ったのは、カリスマ政治家ラファエル・グリュックスマンを担いで欧州議会選で躍進した社会党だ。

その昔、1935年に極右勢力によるクーデター未遂を受けて左派が大同団結して結成した「フランス人民戦線」にちなんで、LFIと社会党、共産党、緑の党(現在はエコロジー党と呼ばれる)の指導者たちは「この国の人道主義者と労働組合、市民運動を代表する新人民戦線」の創設を発表した。

そして各選挙区で右派・極右に対抗する候補者を1人だけ擁立して共闘することに合意した。共同宣言によると、目的は「マクロンに代わる選択肢を設け、極右の人種差別主義者と闘うこと」にある。

一方、既存の右派政党は揺れている。これはマクロンの読みどおりかもしれない。11日の朝、共和党のエリック・シオティ党首は極右・国民連合の要請に応じて共闘する考えを表明した。すると保守本流の自覚と自負に燃える党内の有力者たちが激怒した。

そもそも、国民連合の政策要綱は共和党の掲げる伝統的な共和主義と相いれない。シオティ自身も、今年初めには「深いイデオロギー的相違」ゆえに国民連合との共闘はあり得ないと語っていた。

翌12日には党内有力者が集まり、党首の更迭を決議した(シオティ自身は党本部に閉じ籠もって辞任を拒んでいる)。この混乱に乗じて、ルペンの国民連合も与党の再生も共和党員に、自派へのくら替えを呼びかけている。

次に考えられるのは、マクロン自身が17年の大統領選で掲げた「私を選ぶか、混乱を選ぶか」という二者択一の思考法だ。マクロンは一貫して、ルペンと国民連合は混乱を体現するものだと説いてきた。ただし、これに脅威を感じたルペンは国民連合の路線を微妙に修正している。

保守政権に学生や労働者が抗議した1968年のパリ動乱 ALAIN NOGUESーSYGMA/GETTY IMAGES

極右政党の「正常化」

父ジャンマリ・ルペンから国民戦線を受け継いだ11年以来、マリーヌ・ルペンはひたすら「脱悪魔化」に取り組んできた。

党内にいたネオナチや(第2次大戦中の)ヴィシー政権残党を一掃し、党名も「戦線」から「連合」に改めた。ホロコーストを「歴史の細部」と呼び続ける父親も追い出した。

そうしてイメージは「正常化」されたが、外国人嫌悪やイスラム嫌悪、強権主義、非リベラルの体質は変わらない。しかも、そうした体質は今やフランスの政界で「正常」なものに近づいている。

だが「私か混乱か」というマクロン流の説法は、フランスの病を癒やすどころか悪化させかねない。17年の大統領就任以来、マクロンは一貫してフランスの将来を、善の力(マクロン主義)と悪の力(ルペン主義)の戦いと位置付けてきた。

だが現実には、保守層を味方に引き込もうとするなかで、マクロンはルペン主義のいくつかの要素を取り入れている。

最近では、移民に対する福祉給付の制限とフランス国内で生まれた子に対する国籍の自動付与を否定する移民関連法案を強行採決で成立させた。この2つの条項は、長年ルペンが移民排斥の観点から要求している「フランス第一主義」の容認を意味している。

一方でマクロンは、議会内で騒ぎは起こすものの共和制の原則には反していないLFIのメランションを権威主義的で反共和主義的と非難して、国民連合とひとくくりにすることで左派勢力の多くを遠ざけてしまった。

3つ目に考えられるのは、前回22年の国民議会総選挙でマクロン与党の再生が過半数を割り込んだことの深刻な影響だ。その後の首相(エリザベット・ボルヌと現在のアタル)は年金法案や移民法案などの法案を通すのに苦労してきた。

その結果、マクロン政権は議会の採決なしに法案を成立させる権限を定めた憲法49条3項を繰り返し発動した。この条項は本来、例外的な場合にのみ用いられるべきものだ。

例外を連発し、それを「正常」と言いくるめるようでは国民連合と大した違いはない。

マクロンは議会の機能麻痺に嫌気が差して解散に踏み切ったのかもしれない。だが解散総選挙の決断もまた、本来は例外的であるべきだ。1958年の第5共和制成立以来、フランスで解散は5回しか行われていない。

最も成功したのは、初代大統領のシャルル・ドゴールによる解散だ。

昨年2月、フランス全土に広がった年金改革に抗議するデモ SYLVAIN LEFEVRE/GETTY IMAGES

68年5月、フランスでは全土で労働者のストライキや学生の抗議運動が続き、大統領の政治生命、ひいては第5共和制の存続も危ぶまれていた。

そこでドゴールは異例の演説で国民議会の解散を宣言し、「わが共和国は屈服しない」と豪語した(実際には当時の首相ジョルジュ・ポンピドゥーがドゴールに直談判し、解散しなければ自分が辞めると脅したらしい)。

結局、ドゴールは大勝負に勝った。フランスの有権者はドゴールの与党に安定多数を与えた。だが同じ賭けに出た他の大統領たちは、そこまで幸運ではなかった。

再びの「コアビタシオン」

97年のジャック・シラクは大統領就任2年目に解散総選挙に打って出て国民を驚かせた。彼は「もう一度、国民の声を聞きたい」と言い、中道右派の議席の上積みを狙った。

しかし国民の声は左派を支持し、社会党のリオネル・ジョスパンが首相となり、シラクは彼と権力を分け合うことになった。いわゆるコアビタシオン(同棲、大統領と首相を異なる党が分け合う状態)である。

アメリカの民主党が何かの魔法に期待し、有権者は今度も消去法でジョー・バイデンを選ぶだろうと信じているように、マクロン陣営も総選挙の投票(1回目は6月30日、決選投票は7月7日)では与党が勝つと思い込んでいる。

マクロン自身、今度の投票は国民が「責任を果たす」機会だと述べている。与党・再生の副代表セシル・リアックに言わせれば、マクロンが投げかけた問いはただ1つ、「あなた方は本当に国民連合による統治を望むのか?」だ。

リアックの言葉には一理ありそうだ。そもそも欧州議会の選挙は、有権者が特定の候補を選ぶというより、世の中への不満を表明する機会となっている。

政治学者のノンナ・メイヤーに言わせれば、欧州議会選は政治家に警告を突き付ける「制裁投票」のようなものだ。

しかも欧州議会選の投票率は国政選挙に比べて格段に低い。フランスに限れば、6月9日の欧州議会選で投票したのは有権者の半数ほどだ。だから統計的にも、あれが今度の総選挙の結果に直結するとは言い難い。

しかし、もしもフランス国民が国民連合による統治を「本当に望んで」いたらどうなるか。その場合も、権力の掌握が国民連合にとって有利か不利かは微妙な問題だ。

マクロン自身、国民連合が議会を制するケースを想定して、コアビタシオンの再現に備えているかもしれない。

パリ五輪はどうなる

81年の大統領選では左派のフランソワ・ミッテランが勝利して大統領に就任したが、86年の総選挙では保守派が勝ってシラクが首相となった。これがコアビタシオンの始まりだ。

左派のミッテランと中道右派のシラクは政策面でたびたび衝突した。シラクの政策には、フランス国内で生まれた移民の子への自動的国籍付与の廃止や、公立大学の試験を難しくし学費を上げる計画も含まれていた。

これに反発する学生たちは各地で街頭に繰り出して激しい抗議活動を繰り広げたが、このときミッテランは学生たちへの支持を表明。法案撤回を余儀なくされたシラクは人気を失い、88年の大統領選では71歳のミッテランに大敗を喫したのだった。

だが、それは昔の話。今のマクロンは往年のミッテランではない。今のマクロンは、かつて彼を支えた中道左派の有権者から見放されている。

実際、5月の世論調査によれば、欧州議会選で「投票に行く」と答えた有権者の70%近くが、その理由としてマクロンへの反発を挙げていた。

マクロンはかつて、自分をローマ神話のジュピターになぞらえたことがある。

そういう独裁的な体質の持ち主に逆風が強まるのは当然で、今度の総選挙で国民連合が第1党となっても驚くには当たらない。それはまあ、マクロンの身から出たさびだ。

いずれにせよ、パリで夏季オリンピックが始まる頃には結果が出ている。

フランスの共和制と人道主義を体現する存在として世界中のアスリートを迎えるマクロン大統領の隣には、移民嫌いで極右の若武者バルデラが立っているかもしれない。さて、どうなることやら。

From Foreign Policy Magazine

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